「ボルシェビーク (製菓)」の版間の差分

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フランス人実業家のアドルフ・スー({{lang|ru|Адольф Сиу}})夫妻が[[1855年]][[11月24日]]にモスクワ市トヴェルスカヤ通りに開業した製パン店が発祥。[[1861年]]から[[香水]]製造を開始して急成長し、その後[[化粧品]]、[[香料]]、[[石けん]]製造にも進出して事業を急速に拡大した。[[1884年]]に「A・スー&K」社({{lang|ru|А. Сиу и К}})として法人化し、サンクトペテルブルク大通り(現・レニングラード通り)にレンガ造りの本社と工場を新設した。[[1900年]]にはモスクワのほか、[[サンクトペテルブルク]]、[[キエフ]]、[[ワルシャワ]]に支店を置き、[[馬車]]や[[自動車]]、[[コーヒー]]、[[ココア]]を販売したほか、製菓部門では[[マーマレード]]、[[キャラメル]]、[[ヌガー]]、[[ワッフル]]、[[ケーキ]]、[[生クリーム]]などを製造販売した。[[1913年]]には菓子の品質の高さが評価されて[[ツァーリ|ロシア皇帝]]の表彰を受け、[[ロマノフ朝]]300年を記念したビスケット「ユビレイノエ」(記念日、{{lang|ru|Юбилейное}})の製造を許された。「ユビレイノエ」はロシアを代表するビスケットブランドとなった。
 
[[1924年]]の[[十月革命]]後、[[レーニン1924年]]署名の命令書でA・スー&K社は国有化され、革命における労働者の貢献を記念して社名を「[[ボルシェビキ|ボルシェビク]]」に改名した。[[1927年]]に化粧品など菓子製造事業を除く全事業が切り離され、小麦粉菓子の専業メーカーに改組。戦後[[1952年]]から工場の[[オートメーション]]化に着手し、[[ビスケット]]製造ラインに独自開発の機器を次々と投入するなどして生産性の向上を図った結果、[[1960年代]]には生産量で[[ヨーロッパ]]最大の製菓工場に成長した。
 
[[1971年]]、第九次[[五カ年計画]]早期達成の功績でソ連[[最高会議]]の[[レーニン勲章]]を受章した。[[1970年代]]には、ロシア風菓子の製造販売を手がけていた[[大阪府]][[豊中市]]の[[パルナス製菓]]の招きで、[[社会主義労働者英雄]]称号を持つ女性主任技術者、E・A・オージナ({{lang|ru|Е.А. Ожина}})が2度にわたり同社でケーキ製法などの技術指導を行った<ref>「日本の企業『パルナス』は工場労働者を招き、社会主義労働者英雄のE・A・オージナが最高の技術を共有するため日本に赴いた」({{lang|ru|Японская фирма «Парнас» приглашает работницу фабрики, Героя Социалистического Труда Е. А. Ожину в Японию для обмена передовым опытом.}}) [http://www.kraft-bolshevik.ru/ru/about/history/ {{lang|ru|История компании}}] (株式公開会社ボルシェビク公式サイト・社史)</ref>。