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'''関 銀屏'''(かん ぎんぺい、生没年不詳)は、「[[三国志]]」にまつわる民間伝承より発祥したと考えられる架空の人物。 関三小姐とも呼ばれる。[[劉備]]の武将[[関羽]]の三番目の娘。李蔚(または李遺とも。[[李恢]]の子である李蔚('''李遺''')に嫁いだとされている。なお夫婦の墓が現存している。
 
== モデルについて ==
[[219年]]、劉備が[[漢中]]王ると、関羽は[[前将軍]]・仮節に任じられ。ちょうど時期を同じくして、[[孫権]]自分の子と関羽の娘の婚姻を申し入れてきた。関羽がこれを拒否すると両者の関係悪化したため、[[曹操]]配下の[[司馬懿]]と[[蒋済]]はこの隙を突いてつき孫権と同盟を結ぶよう曹操に進言した。
 
関羽が孫権との婚姻を拒む逸話は『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』『[[三国志演義]]』共に掲載されており、この逸話が民間伝承の下敷きなったと考えられる。
しかし『三国志』『三国志演義』にはこれ以上の詳しい「関羽の娘」に関する詳しい挿話はなく、また「銀屏」などの名称もまた見られない。
 
== 参考文献 ==