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Dr jimmy (会話 | 投稿記録)
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: 当時[[TBSテレビ|TBS]]で放送されていた人気クイズ番組『[[クイズ100人に聞きました]]』にヒントを得たパロディ企画。[[有名人]]の「<!-- 姓名、-->[[名字]]、(名字でないほうの)名前、[[漢字]]、[[部首]]などで連想される有名人は?」という質問を100人(東京50人、大阪50人、問題によっては東京、大阪どちらか100人)にアンケートを取り、1人しか答えなかった有名人を当てるというクイズ。[[歴史上の人物]]や[[フィクション|漫画を含む創作物]]の登場人物も可とされた(例:「なかむら」と言えば?・・・[[中村主水]])。
: 当初は100人に聞いても1人も答えなかった有名人を当てるクイズだったが(タイトルも「クイズ100人が言いませんでした」だった)<ref>しかも「[[山口さんちのツトム君]]」など、後に可とされた創作物の登場人物は無効とされて結果発表が出る前に減点の対象となった。なお、上岡に無効判定された「[[山口さんちのツトム君]]」は10人の回答があり、結局は10点のみの減点となっている。また、皮肉にもこの企画は本家『[[クイズ100人に聞きました]]』の最終回(1992年9月28日)の直前(1992年9月22日)にスタートしている。</ref>、あまりにも解答がマニアックになってしまったために変更された。
: 正解すると20点加算され、不正解の場合は人数分の減点となる。0人の場合は「ドボン」となり-10点(ある時期より最初からドボンを狙った解答もしくは空欄解答については40点減点する旨紳助より警告があった)。企画後期には「勝負帽」(解答時に1回だけ使用することができ、正解すれば2倍の40点加算になるが、不正解時のマイナスも2倍になる。なお、最後まで使用しなかったら50点の減点)が導入された。1点 = 1000円のレートで賞金額が決まる(ということになっていた)。企画初期の段階では正解時の加算が10点であったが、レートが厳しすぎて獲得賞金がマイナスで終了する解答者が相次ぎ、結果テレビ局が儲かるケースがほとんどであった。番組内でも本当に罰金額を没収するという発言をしており、ひどい時には10万円以上もの没収を食らうゲスト解答者もいた。このため「企画自体が[[賭博]]行為に当たるのではないか」と[[大阪府警察|大阪府警]]から指摘を受けたというエピソードもある(これ以降、正解時の加算が20点とされた)。そのためか、番組内では1点あたりの金額を言わず、「([[缶飲料]]の)[[ウーロン茶]]○本分」という単位をよく使っていた。なお、このコーナーで[[ジミー大西]]は司会の紳助に「ジミーちゃん[[パンチ]]!」とよく頭を殴られたり、裸にされたりするなどひどい目にあっていた<ref>[[裸]]にされた理由は、放送途中で持ち点がなくなってしまい、[[衣装]]を形に得点を借りてゲームを続行したためであった。</ref>。この企画は『スーパークイズスペシャル』でも、紳助の司会で出題された。
; クイズ1人しか抱かれてみたいと言いませんでした
: EXテレビが放送終了になる直前に、視聴率10%を超える『抱かれてみたいグランプリ』と『クイズ100人に聞いたら1人しか言いませんでした』の2つの企画をドッキングさせて視聴率20%を目指すという企画の元に放送された。「あなたが抱かれてみたい○○さんは?」(○○は、 - 1人しか言いませんでした同様に苗字または名前が入る)という質問をして、誰かが20票に到達した時点で1票だけ獲得した人物を答えた場合に正解となるクイズであった。もし1票だけ獲得した人物がいなかった時には、1票を獲得する人物が現れるまでアンケートが続行された。得点は、『 - 1人しか言いませんでした』と同じ計算方法であった。
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: 上岡・紳助に[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]の2人を交えて、4人がそれぞれ中心を向いたセットに座って交代で問題を出し、出題者が正解を決められる。上岡の意図的な誘導により、次第に上岡をのぞく3人の私生活暴露や吉本の先輩への暴言大喜利大会になる。
; クイズ全員が解答者 → クイズ[[ロシアンルーレット]] → クイズロシアンルーレット・メタリカ
: 前述の「クイズ全員が司会者」を発展させた企画。中心に小型[[カメラ]]付きの[[ルーレット]]が設置された[[円卓]]型の[[テーブル]]に参加者4人が向き合って座る。まず問題が出題される。その内容は答えにくい質問(質問例「あなたと[[性行為|エッチ]]したことのある芸能人の名前を書いてください」など)であって、1問ごとにカメラつきルーレットを回してルーレットが止まった時点でカメラが向いている席に座っている者が解答者となる。残り3人は解答予想者として解答者がどのように答えるかを当てる。予想が的中するとウーロン茶100本獲得となる(ため解答者は絶対にウーロン茶100本を獲得出来なかった)。この企画の第1回目の放送の時は上岡・紳助・ダウンタウンの4人が解答者で司会者がいなかった(この時だけ『クイズ全員が解答者』というタイトルだった)が、2回目以降の放送より『クイズロシアンルーレット』として上岡が司会進行となり、解答者は紳助の他に[[西川のりお]]、[[オール巨人]]、[[桂小枝]]、[[円広志]]、[[大竹まこと]]、[[ラサール石井]]らが出演していた。ただ桂小枝があまりにも正直に答えないという事が多かったので、桂小枝が正直に答えていないと判断した時には司会の上岡と3人の解答者から空気鉄砲を撃たれるペナルティがあった。後にクイズロシアンルーレット・メタリカとタイトルが変更されて、この時から円形のテーブルとカメラつきルーレットがなくなり、それぞれの解答者のアップが司会者の後ろの画面にランダムに映し出され、最後に画面が止まった人物が解答者になるというものになった。
; 春(秋)の新番組ダービー
: 春・秋の番組改編期に行われる企画。視聴者は、新番組の中で最も早く[[打ち切り|打ち切られる]]番組をハガキで予想し、的中者の中から抽選で1名に高額[[賞金]]がもらえるというものだった。最初の頃は、上岡と紳助が番組ごとに賞金を決定していたが、[[大島渚]]、[[山藤章二]]、[[西川のりお]]などの著名人8人が加わり、打ち切りと予想した人数に応じて賞金が決定された<ref>ちなみに、当時の人気番組となる『[[ビデオあなたが主役|きよし・徹のあなたが主役]]』や『[[マジカル頭脳パワー!!]]』や『[[愛ラブSMAP]]』などは早く打ち切られる上位に予想していた。正解率は高くなかった。</ref>。この類の企画は後に[[やしきたかじん]]がメインの番組で行われている。
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: 不幸話を持ったゲストを呼んでトーナメント方式で繰り広げる予定だった企画で、当初は1人ずつゴンドラに乗って不幸話を披露した後、勝敗の判定ではTBS系「[[家族そろって歌合戦]]」のようにゴンドラが上昇したのち、負けた方が下降するという形で企画を進める予定であったが、企画自体があまりにも盛り上がらなかったことと、負けて下降したゴンドラから芸人が転落するというハプニングが発生したため、1回戦途中で企画を打ち切りゲストを交えてのフリートークに変更された。このため、スタジオに用意されたトーナメント型の巨大ゴンドラはほとんど使用されないままに終わった。
; いきなり生電話
: 著名人ゲストを一人招いて、そのゲストと親交がある100人の著名人をピックアップし、その中から無作為にいきなり電話をかける企画。山城新伍、中村勘九郎(現・後の[[中村勘三郎 (18代目)|中村勘三郎]])らがこの企画にゲスト出演した。何の予告もなくいきなり深夜に電話をかけられた相手が、テレビをつけて初めてどのような事態であるかが解る様子が伝えられる、生放送ならではの企画であった。この企画で山城新伍が[[中尾ミエ|ある芸能人]]に電話をしたところ、まず異性が電話に出てしまい、その後に本人から「こんな夜中に用のない電話はやめてください」と叱られてしまった。
; [[新年会]]
: 新年1回目の放送企画。レギュラーゲストを招き、スタジオに組まれた[[宴会]]テーブルを囲んで鍋をつついたり酒を飲んだりしながら会話をするその様子が放送されていた。
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: こちらも新年1回目として放送された企画。スタジオ一面に作られた巨大[[すごろく]]の上を出演者自らがコマとなり、大きい[[サイコロ]]を振って、止まったマスの指示に従いながら進む。途中ジミー大西にクイズを出題して、不正解だとペナルティを受けるなどの理不尽な仕掛けもあった。結局番組の放送時間内にゴールにたどり着いた出演者は1人もおらず、企画倒れと悟った紳助がエンディングでカメラに向かって「ごめん、2度とせん!」と謝っていた。この企画の司会は[[大竹まこと]]であり、総集編でVTRを見た上岡・紳助は「こういう失敗する企画は、我々はちゃんと避けてる」と語っていた。しかし、この企画も『100人聞いたら - 』に続いて『スーパークイズスペシャル』へと引き継がれた。同様に紳助の司会で、多少アレンジされた上で1996年秋から1997年秋までの3回実施された。
; 自民党国会議員記憶
: ジミー大西が、事前に当時の[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の[[衆議院|衆]][[参議院|参]][[国会議員]]全員の名前を[[記憶]]し、当日生放送で発表するというもの([[細川内閣]]誕生前なので、人数は381人と非常に多い)。1時間の番組全部が、ただ延々と名前が繰り返されるだけなのだであるが<ref>不正を防ぐため、CMは番組の序盤にまとめて放送された。</ref>、[[越智通雄]]がなかなか思い出せずにつっかえるあたりで最高の盛り上がりを見せた。ジミーは全員の名前を思い出すことに成功した。ただ、同じ内容の企画をしばらくの期間を置いた後にもう一度ジミー大西に発表してもらうという放送を行ったが、結果は10人に満たなかった。この日の番組の最後の締めは「[[一夜漬け]]の記憶はいつまでも続かない」という言葉であった。
; ジミー大西のニュースコーナー
: ジミー大西が(直前の『[[NNNきょうの出来事]]』とは全く異なるスタイルで)その日に起こった[[ニュース]]を読み上げるという番組エンディングのコーナー。あまりにもたどたどしい原稿読みに、上岡と紳助はハラハラしながらジミーにツッコミをいれていた。ジミーの「明日は、東京・日本テレビからお送りします」の締め言葉でその日の番組は終了していた。
; 小相撲
: 普段は体験できない[[大相撲]]の世界を、[[視聴者参加型番組|番組視聴者に体験]]してもらおうという企画。相撲好きであるにもかかわらず諸事情で大相撲の世界に入れなかった者から単に興味がある者まであらゆる参加者が訪れたが、「小相撲」なので[[新弟子検査]]基準(身長・体重)を下回ることが条件だった。序盤はパロディの要素もあるので笑いも出たが、打ち止めの一番では技術の確かな者同士が力のこもった対戦を繰り広げた。
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: EX Osaka火曜日第2回目の特集。[[視聴率]]の信憑性を調べる企画。[[視聴率調査機]]のある視聴者に「今から1分間[[NHK教育テレビジョン|NHK教育]]にチャンネルを合わせてください」と呼びかけた。当時のNHK教育は24時で放送を終了<ref>厳密にはこの番組が開始してすぐの23:57.30秒にエンディングが放送され、[[考える人]]銅像→[[日章旗]]([[国旗]])掲揚・君が代演奏→各局IDを放送して23:59で放送終了であった。当時は総合テレビも同じ時間で終了している(総合は考える人に代えて、終了アナウンスを放送し、以後は教育に同じ)。</ref>しており、チャンネルを合わせても[[スノーノイズ|砂嵐]](地区により[[カラーバー]]<[[テストパターン (放送)|テストパターン映像]]>)のみであったが、この呼びかけに応じた視聴者はNHK教育にチャンネルを合わせた。その結果、この時間帯は[[ビデオリサーチ]]の視聴率調査で最高2%、[[エーシーニールセン|ニールセン]]社で最高5.9%(これは当日のNHK教育テレビで放送された全ての番組よりも高い数字であった)もの視聴率を弾き出し、ビデオリサーチ社からクレームが来る事態にまで発展した。また、この企画は1990年に日本民間放送連盟賞番組部門テレビ娯楽最優秀賞を受賞した。また、EX Osaka最終回では『視聴率ゼロに挑戦』と題して、「視聴率調査機のある方は今日この番組を見ないでください」とも呼びかけた。
; NHK教育テレビを教育する
: EX Osaka火曜3回目の放送では、この2回目のテーマを反映した形でNHK教育テレビについての企画を準備していたが、上岡があまり乗り気ではなかった上に、その前のNEWS・EXTVのコーナーを強制的に終了しCMになったことに対して上岡が激怒してしまい、生放送であるにもかかわらず進行を無視してスタッフ(主にスタジオにいるフロアディレクター)に対して[[説教]]を始めた。急遽CM明けに途中で流す予定であったVTRを流したが、VTR終了までに上岡の怒りはまらずに説教している模様がそのままO.A.オンエアされてしまったのだ。この日の様子は翌日の近畿の夕刊紙である[[大阪新聞]]の1面トップ記事になり、2日後の木曜EX Osakaのオープニングでは、自分の事が1面トップ記事になったことを自ら嬉しそうに紹介していた。また、この時に「あれはスタッフを怒ったのではありません、叱ったのです」とも言っていた。結局この日上岡に教育されてしまったは本来の企画であったNHK教育テレビではなく、企画を出したEX Osakaのスタッフ自身であった。
 
=== 金曜日のエピソード ===