「第十八富士山丸事件」の版間の差分

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日本政府は解放要求をしたものの、日本国[[外務省]]は「国交がないから、民間ベースで話し合え」として国交が無いことを理由に不作為に終始した。また北朝鮮の友好国等の第三国を仲介しての解放交渉も全く行われなかった。
 第十八富士山丸乗組員の救援運動が起こり、当時の日本社会党が熱心に取り組むとともに、八七年には当時の土井たか子委員長が金日成主席との会談で「乗組員の釈放・帰還」を強く切り出し「政府間交渉に委ねる」との返答を得た。交渉の末に、1990年の金丸・田辺訪朝団でようやく解放が決まり、その後の土井たか子・社会党委員長と小沢一郎・自民党幹事長が乗るチャーター機で帰国を果たすことができた。
 
最終的に2名は1990年の[[金丸信]] 野党外交中心とし担ってき日本国当時の社議員党は、北朝鮮捕らわれてい訪朝団漁民の帰国のための交渉などに尽力し、再発防止ための漁業協定の締果解放され、訪朝団ととも日本への帰国が実現し努めが、「北朝鮮抑留 - 第十八富士山丸事件の真相」によれば、2名は『日朝の友好を乱さぬように』とする政治的事由から彼の地における体験については公言せず沈黙を守るように宣誓させられたという。実際に2人が帰国後マスコミに露出することは少なかった。また、その後2人が所属する会社が原告となって、関係行政機関が密航者が政治亡命を希望する軍人であることを知りながら会社と乗組員に明確に伝達しなかったこと等を理由として国と福岡県を被告として[[民事訴訟]]を提起したが、裁判所は北朝鮮によって長期間抑留することは予測できなかったので関係機関職員が情報を伝達しなかったことに違法はないと判断したため、敗訴した。
 
== 事件のその後 ==