「エリク14世 (スウェーデン王)」の版間の差分

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[[1558年]]に始まった[[リヴォニア戦争]]に参戦し、[[1561年]]に[[エストニア]]を解放する。彼は政治的野心と同様に、知性と芸術性を有していた。しかし、彼の治世、精神的不安定の兆しと狂気に導かれた状況となった。
 
エリクの外交政策のほとんどは、スウェーデンを[[大国]]にするための尽力が基本であった。独立国家を統治したことで満足した、父王と違い、エリクは[[バルト海]]地域とエストニアでの影響力の拡大に挑戦しようとした。この拡大によって、従弟で[[デンマーク]]王の[[フレゼリク2世 (デンマーク王)|フレデリク2世]]と衝突することになった。有効な政治同盟を求めて[[エリザベス1世 (イングランド女王)|エリザベス1世]]や[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー・ステュアート]]などに求婚したが、結婚は実現しなかった。
 
内政においては、エリクの野心は、弟たち(後の[[ヨハン3世 (スウェーデン王)|ヨハン3世]]、[[カール9世 (スウェーデン王)|カール9世]])を含むスウェーデン貴族に猛烈に反対された。ヨハンは謀反を起こしたが、[[1563年]]に捕らえられ大逆罪に問われた。エリク14世の治世のほとんどが、デンマークとの[[北方七年戦争]]で占められ、その間彼はデンマークからの征服の試みを阻んだが、自らの征服事業も維持できなかった。