「露天掘り」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
24行目:
 
また、[[金]]は、最初期には川底をさらって砂金の状態で採掘されていたが、[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]になると、かつて川底であった場所に蓄積されている風化鉱石(柴金)や、地表近くの酸化した鉱脈を採掘するようになった。この段階が金採掘における露天掘りである。この場合は、鉱脈に沿って掘られため、深い地割れのような堀状の竪穴になる事が多い。
 
大正時代、石川県[[能登島]]において燐鉱床が開発されたが、この鉱床は同島沿岸の海底に存在していた。このため、鉱床を取り囲むように堰堤を築き、堰堤内の海水をポンプで[[灌漑]]した上で海底の燐鉱石が採掘された。採掘そのものは短期間で終了したものの、残存した堰堤は一部が撤去されて採掘跡みに再び海水が注ぎ込まれ、堰堤を[[防波堤]]として露天掘り跡地は[[半の浦漁港]]に転用された。
 
坑道を掘るための安全対策に多額な費用を要するようになったこと、重機の性能が向上したことなどにより、[[北海道]]などで小規模ながら[[石炭]]の露天掘りが見られるようになった。