「カメルーン」の版間の差分

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{{基礎情報 国|
| 略名 =カメルーン|
| 日本語国名 =カメルーン共和国|
| 公式国名 ='''{{Lang|fr|République du Cameroun}}'''<small>(フランス語)</small><br/>'''{{Lang|en|Republic of Cameroon}}'''<small>(英語)</small>|
| 国旗画像 =Flag of Cameroon.svg|
| 国章画像 =[[ファイル:Coat of arms of Cameroon.svg|100px|カメルーンの国章]]|
| 国章リンク =([[カメルーンの国章|国章]])|
| 標語 =''{{Lang|fr|Paix, Travail, Patrie}}''<br/>([[フランス語]]: 平和、労働、祖国)|
| 位置画像 =Cameroon (orthographic projection).svg|
| 公用語 =[[フランス語]]、[[英語]]|
| 首都 =[[ヤウンデ]]|
| 最大都市 =[[ドゥアラ]]|
| 元首等肩書 =[[カメルーンの大統領|大統領]]|
| 元首等氏名 =[[ポール・ビヤ]]|
| 首相等肩書 =[[カメルーンの首相|首相]]{{enlink|Prime Minister of Cameroon|PM}}|
| 首相等氏名 =[[{{仮リンク|フィレモン・ヤング]]|en|Philémon Yang}}
| 面積順位 =52|
| 面積大きさ =1 E11|
| 面積値 =475,440|
| 水面積率 =1.3%|
| 人口統計年 =2008|
| 人口順位 =59|
| 人口大きさ =1 E7|
| 人口値 =19,522,000|
| 人口密度値 =34|
| GDP統計年元 =2008|
| GDP値元 =10兆4,100億<ref name="economy">IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2009/01/weodata/weorept.aspx?pr.x=75&pr.y=13&sy=2008&ey=2008&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=622&s=NGDP%2CNGDPD%2CPPPGDP%2CPPPPC&grp=0&a=])</ref>|
| GDP統計年MER =2008|
| GDP順位MER =85|
| GDP値MER =232億<ref name="economy"/>|
| GDP統計年 =2008|
| GDP順位 =88|
| GDP値 =417億<ref name="economy"/>|
| GDP/人 =2,152<ref name="economy"/>|
| 建国形態 =[[独立]]<br/>&nbsp;-&nbsp;日付|
| 建国年月日 =[[フランス]]から<br/>[[1960年]][[1月1日]](西南部はイギリスから[[1961年]])|
| 通貨 =[[CFAフラン]]|
| 通貨コード =XAF|
| 時間帯 =(+1)|
| 夏時間 =なし|
| 国歌名 =カメルーンの国歌|Chant de Ralliement|
| ISO 3166-1 = CM / CMR|
| ccTLD =[[.cm]]|
| 国際電話番号 =237|
| 注記 =
}}
'''カメルーン共和国'''(カメルーンきょうわこく)、通称'''カメルーン'''は、[[中部アフリカ]]に位置する[[共和制]][[国家]]。西に[[ナイジェリア]]、北東に[[チャド]]、東に[[中央アフリカ共和国]]、南東に[[コンゴ共和国]]、南に[[ガボン]]、南西に[[赤道ギニア]]に隣接し、南西部が[[大西洋]]の[[ギニア湾]]に面する。首都は[[ヤウンデ]]。
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[[第一次世界大戦]]でドイツが敗れた後、1918年の[[ヴェルサイユ条約]]の規定により、[[1922年]]に、北西部が[[イギリス]]の「{{仮リンク|南カメルーン|en|Southern Cameroons|label=イギリス領カメルーン}}」(西カメルーンとも。後の[[北西州 (カメルーン)|北西州]]と[[南西州 (カメルーン)|南西州]]及びナイジェリアに併合されることになる北部からなる)、東南部が[[フランス]]の「{{仮リンク|フランス領カメルーン|en|French Cameroons}}」(東カメルーン)として[[委任統治領]]となる。[[第二次世界大戦]]中には、[[シャルル・ド・ゴール|ドゴール]]の[[自由フランス]]の拠点の一つとなった。二次大戦後、[[1946年]]には[[信託統治領]]となり、[[1957年]]、フランス領カメルーンには自治が認められた。
 
[[アフリカの年]]と呼ばれる[[1960年]]、フランス領カメルーンが独立した。大統領は北部出身のイスラーム教徒[[アマドゥ・アヒジョ]]である。イギリス領カメルーンは北部と南部で別々に住民投票を実施した結果、[[1961年]]には北部が[[ナイジェリア]]と合併、南部はカメルーンとの[[連邦制]]となった。この連邦制は[[1972年]]に廃止され、国号をカメルーン連合共和国に変更した。アヒジョ大統領は[[1965年]]・[[1970年]]・[[1975年]]・[[1980年]]の大統領選挙で再選されたが、彼の[[{{仮リンク|カメルーン人民民主連合]]|en|Cameroon People's Democratic Movement}}(CPDM)の一党支配が嫌われ、1981年には[[政党]]の結成を合法化し、[[1982年]]には大統領を辞任した。南部出身の現大統領[[ポール・ビヤ]]は就任後、何度も選挙に勝ち残ったが、選挙自体の公正さに疑問もある。[[1984年]]には国号を現在のカメルーン共和国に変更した。
 
== 政治 ==
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* カメルーン憲法は[[1972年]]に制定された。[[1996年]]の憲法改正によってカメルーン大統領は、カメルーン政府内で行政執行権を行使できるようになった。大統領は広範囲な権力を与えられており、[[一院制]]の[[議会]]に図ることなく行使できる。議会の議席は180人。年3回開催される。議会の目的は法案を通過させることである。実際、議会が法案を変更すること、成立を阻むことはめったにない。
* [[司法]]部は[[行政]]部門である[[法務省]]の下に置かれている。[[最高裁判所]]は、大統領が要求した場合に限り、[[違憲審査制|違憲立法審査]]に着手できる。
* 主要政党は、与党{{仮リンク|カメルーン人民民主連合|en|Cameroon People's Democratic Movement}}(CPDM)のほか、{{仮リンク|カメルーン民主連合|en|Cameroon Democratic Union|label=カメルーン民主連合}}、{{仮リンク|社会民主戦線 (カメルーン)|en|Social Democratic Front (Cameroon)|label=社会民主戦線}}、[[:en:National Union for Democracy and Progress (Cameroon)|National Union for Democracy and Progress]]、[[:en:Progressive Movement (Cameroon)|Progressive Movement]]など。他に[[:en:Alliance for Democracy and Development]]、[[:en:Union of the Peoples of Cameroon]]、[[:en:Cameroonian Party of Democrats]]。
* 主要政党は、与党カメルーン人民民主連合のほか、カメルーン国民民主連合、社会民主戦線など。
* 1998年最西端に位置するバカシ半島の帰属をめぐって、隣国のナイジェリアとの間で[[バカシ半島領有権問題]]が発生した。現在、この地域では二つの反政府武装組織'''ニジェールデルタ防衛治安評議会'''([[ニジェール・デルタ解放運動]])と'''バカシ自由闘士'''([[:en:Bakassi Movement for Self-Determination]])が広範な自治を求めて活動している。
* {{仮リンク|南カメルーン国民会議|en|Southern Cameroons National Council}}(SCNC)は1999年に、もとイギリス委任統治領だった、英語話者が多い[[北西州 (カメルーン)|北西州]]と[[南西州 (カメルーン)|南西州]]の2州で'''[[南カメルーン連邦共和国]]'''('''アンバゾニア共和国''')の名で分離独立を求めている。南カメルーンの分離独立運動の背景にはフランス語話者の方が政治など中心的に支配して有利にある事や経済格差への不満が原因である([http://www.southerncameroons.info/ 南カメルーン政府のサイト])。
 
== 地方行政区分 ==