「芙蓉鎮」の版間の差分
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==あらすじ==
[[文化大革命]]直前の1963年、[[中国]]・[[湖南省]]の南にある小さな町、芙蓉鎮。器量好しで気立てのよい胡玉音(フー・ユゥーイン)は人気者で、夫婦で営む米豆腐の店はおおいに繁盛していた。玉音の元恋人で[[中国共産党|党]]員書記の黎満庚(リー・マン
しかし1964年、[[四清運動]]のため、党から政治工作班が送り込まれ、[[反右派闘争|反体制者]]や[[走資派|資本主義者]]を追及、やり玉にあげ始めた。班は、独身女性の李国香(リー・
1966年に[[文化大革命|文革]]が始まると、玉音、秦らだけでなく李国香も「ニセ者の左派」、更に「身持ちの悪い女」(古靴を紐に連ねて首から掛けさせる描写が有るが、これは中国のかなりの地方で「身持ちの悪い女」を見せしめにする時に行われる習慣である)として激しい攻撃にさらされる一方、王は「文革の忠実な戦士」ともてはやされて支部書記となっていた。今や玉音は書田とともに街路掃除人へと追いやられ、谷は酒びたりに、黎は玉音を裏切ることで生き延び王の秘書になっていた。
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玉音は書田の子を宿し、結婚の許可を求めるが、党上層部は不吉な白い[[対聯]]を書かせる。涙を流す玉音に、書田は「考え方次第だ、とにかく二人は夫婦と認められたのだ」と気付かせる。二人の「結婚式」に列席してくれたのは谷だけであった。しかしこの結婚は国香の不快を買い、書田は懲役10年の労働刑に、玉音は懲役3年のところ執行猶予で芙蓉鎮での労働啓に処せられる。書田は玉音に「何があろうと(豚になっても)生き抜け」と言い残して[[労働改造]]に連行される。
大きなお腹で労働に耐える玉音をこっそり手助けしたのは、一度は彼女を見捨てた町の人々であった。玉音は、谷の手助けで生まれた子に谷軍(
1979年、文化大革命がようやく終わり、玉音の名誉は回復され、家もお金も返却される。帰ってきた書田と、再び芙蓉鎮に赴任してきた李国香が同じ船に乗り合わせたのは皮肉であった。まさにそのとき、芙蓉鎮党支部だった王の古い家が川に崩れ落ちてゆく。
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