「阿須賀神社」の版間の差分

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{{神社|
|名称=阿須賀神社|
|所在地=和歌山県新宮市阿須賀1-25-25|
|位置={{ウィキ座標2段度分秒|33|43|42.51|N|135|59|50.25|E|}}|
|祭神=事解男命<br/>熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津御子大神|
|神体=
|社格=村社|
|創建=不詳(考昭天皇代)|
例祭=10月15日|
|本殿=木造銅板葺流造
画像=[[Image:Sacred arch of ASUKA shrine.jpg|250px]]|
|札所等=熊野曼荼羅 第23番
|例祭=10月15日|(神馬巡業の儀)
|神事=
|画像=[[Image:Sacred arch of ASUKA shrine.jpg|250px]]|
}}
 
'''阿須賀神社'''(あすかじんじゃ)は[[和歌山県]][[新宮市]]にある神社。阿須賀王子。熊野曼荼羅三十三ヶ所霊場 第23番
 
== 概要 ==
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社伝によれば[[孝昭天皇]]の代の創建と伝えられる<ref name="Heibon_1997_53"/>。[[平安時代]]に熊野権現の[[本地垂迹|本地]]が確立してからは、[[大威徳明王]]を本地仏として祀った。平安時代後期から12世紀前半までの中世熊野参詣では、阿須賀神社に参詣することが常であったと見られ、『[[中右記]]』の[[天仁]]2年([[1109年]])10月27日条に「参阿須賀王子奉幣」と記され、王子社としての扱いを受けていたことが分かる。また、『[[平家物語]]』巻十には[[平惟盛]]が[[新宮市|新宮]]で「明日社ふし拝み」と記され、阿須賀神社への参拝が一般的なことがらであったことが認められる。
 
『[[紀伊続風土記]]』によれば、近世の阿須賀神社には、並宮・拝殿・御供所・鐘楼堂・四脚門・鳥居・社僧行所などがあったという。[[1907年]]([[明治]]40年)、熊野速玉大社の末社であった八咫烏社(建角美命)・宮戸社(黄泉津道守命)などを合祀した。
 
=== ===
* 事解男命(ことさかおのみこと)
* 熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)、熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)、家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)
 
=== 境内・配神 ===
* 事角見命(事角見神、たけつねのかみ)
* [[イザナミ|黄泉津道守命]](黄泉津道守神、よもつみちぬのかみ)
 
== 境内 ==
本殿(木造銅板葺流造)16平方メートル。拝殿(木造銅板葺入母屋造)56平方メートル。社務所(新築: 昭和58年〈[[1983年]]〉)。阿須賀開館(新築: 昭和56年〈[[1981年]]〉)。神武天皇聖蹟熊野神邑顯彰碑。
 
=== 摂末社 ===
* 阿須賀稲荷神社
* 徐福之宮
* 子安之社
 
== 文化財 ==
阿須賀神社の[[手水鉢]] - 新宮市指定文化財(有形民俗文化財)
: [[新宮城]]第2代城主の[[水野重良]]により寛永8年([[1631年]])に寄進されたもので、黒雲母花崗斑岩の巨大な一枚岩を刻んで仕上げられたものである。同様に[[神倉神社]]にも手水鉢が寄進されている。
 
=== 蓬莱山経塚 ===
蓬莱山経塚は社殿の裏側から発掘された[[経塚]]で、[[1960年]]([[昭和]]35年)、[[東京国立博物館]]によって発掘された。出土遺物は200点余をかぞえ、陶製経甕破片、経筒残片、銅銭、和鏡、経石、貞治2年(1363年)刻銘のある銅板金具など<ref name="Shingu_66">新宮市教育委員会・新宮市文化財審議会[1990: 66]</ref>のほか、隣接する岩室から400点以上にのぼる御正体(みしょうたい)が出土している<ref>平凡社[1997: 54]</ref>。御正体の製作年代は様式から見て、平安時代から[[室町時代]]にかけてと見られ、平安時代4点、[[鎌倉時代]]119点、室町時代42点、不詳数点と分類されている<ref name="Shingu_66"/>。鏡像・懸仏の両方を含み、描画技法は墨彩、毛彫、線刻、針書、金銅鋳出など様々である。描かれているのは半数以上が阿須賀神社の本地仏である大威明徳王であるが、熊野三山の本地仏である[[阿弥陀如来]]([[熊野本宮大社|熊野本宮]])、[[薬師如来]]([[熊野速玉大社|熊野新宮]])、[[千手観音]]([[熊野那智大社|那智]])や、神倉神社の本地仏である[[愛染明王]]像等も出土している<ref name="Shingu_66"/>。
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: 阿須賀神社の社叢で、境内地後背の蓬莱山にある暖帯[[照葉樹林]]である。高木には[[クス]]・[[ホルトノキ]]・[[シイ]]など、亜高木にはミミズバイ・シロダモ・タイミンタチバナ、低木にはイヌツゲ・[[アセビ]]・カマツカ・[[クチナシ]]、さらに林床には[[センリョウ]]・[[マンリョウ]]・[[ヤブコウジ]]や暖地性の[[シダ]]類が繁茂している。市街地の中にありながら、豊富な植物相を持つ点で貴重な森である。市指定天然記念物(植物群落)<ref>新宮市教育委員会・新宮市文化財審議会[1990: 95]</ref>。
; テンダイウヤク
: [[テンダイウヤク]](天台烏薬)は[[クスノキ]]科の常緑低木で、中国から薬用として伝来したといわれている。[[静岡県]]・[[三重県]]・和歌山県・[[大阪府]]・[[京都府]]・[[奈良県]]および九州地方の一部に野生化した品種の繁殖が確認されている。新宮市には[[徐福]]渡来伝説が伝えられ、徐福が求めた不老不死の妙薬がテンダイウヤクであるとされることから特に珍重される。特に蓬莱山は徐福がテンダイウヤクを採取した所であるとされ、神社境内にも植栽されている。テンダイウヤクは本来は低木であるが、阿須賀神社のものは樹高3メートルにおよぶ古木の株もあることから貴重なものである。市指定天然記念物(栽培・種分類群)<ref>新宮市教育委員会・新宮市文化財審議会[1990: 96-97]</ref>。
 
== 境内・配神 ==
=== 配神 ===
* 事角見命
* [[イザナミ|黄泉津道守命]]
 
=== 摂末社 ===
* 阿須賀稲荷神社
* 徐福之宮
 
== 新宮市立歴史民俗資料館 ==
境内に建設された新宮市立の博物館。[[#蓬莱山経塚|蓬莱山経塚]]や[[#阿須賀遺跡|阿須賀遺跡]]の出土品のほか、新宮城や熊野信仰などに関する展示品、竪穴住居(復元)などがある。詳細は外部リンク参照
 
== アクセス ==
[[西日本旅客鉄道|JR]][[紀勢本線]][[新宮駅]]より徒歩約10分
 
== 注 ==
{{Reflist|2}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book ja-jp|author=平凡社|year=1983|title=和歌山県の地名|publisher=平凡社|series=日本歴史地名大系第31巻}}
* {{Cite book ja-jp|author=― |year=1997|title=大和・紀伊寺院神社大事典|publisher=平凡社|isbn=4582134025}}
* {{Cite book ja-jp|author=新宮市|year=1984|title=新宮市誌|publisher=新興出版社}}
* {{Cite book ja-jp|author=新宮市教育委員会・新宮市文化財審議会編|year=1990|title=新宮市の文化財|publisher=新宮市教育委員会}}
* {{Cite web |url=http://www.city.shingu.lg.jp/div/soumu-1/htm/d1w_reiki/417901010169000000MH/417901010169000000MH/417901010169000000MH.htm|title=新宮市立歴史民俗資料館条例|accessdate=2013-01-06}}
 
== 関連項目 ==