「ウグリチのドミトリー」の版間の差分

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[[1582年]]、[[イヴァン4世]]が62歳のときに生まれた。
 
[[1584年]]にイヴァン4世が亡くなると、ドミトリーと年の離れた兄[[フョードル1世]]がその後を継いだが、[[ロシア]]の事実上の支配者となったのはフョードルの妻の兄で、大貴族の[[ボリス・ゴドゥノフ]]だった。
 
後に広まった話では、ゴドゥノフは自分が[[ツァーリ]]になる野心を抱いており、子供のいないフョードルの後を継ぐ可能性のあったドミトリーを排除しようと考えていたという。
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[[1591年]][[5月15日]]、ドミトリーは友達らと遊んでいる最中、謎に包まれた状況で、刃物による刺し傷が原因となって8歳で亡くなった。
 
しかし、[[1598年]]にフョードル1世が子供のないまま没し、ボリス・ゴドゥノフがツァーリに即位すると、もう一人の継承者となるはずだったドミトリーの死の真相を巡って、ロシアでは様々な噂が飛び交った。
 
ドミトリーの死は[[リューリク朝]]の断絶を決定づけ、またその死をめぐる謎がその後の政治的混乱の重要な[[ファクター]]となったため、ロシアの[[動乱時代]]に常に影を落とし続けた。