「インド」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
時系列の調整。
103行目:
戦後イギリスはインド国民軍の将兵を国王に対する反逆罪で裁判にかけたが、これが大きな反発を呼び各地で暴動が勃発した。この暴動を受けて、戦争により国力が低下したイギリスはインドをこれ以上植民地下に置くことはできないと判断し独立を容認することとなった。
 
初代首相(外相兼任)には[[ジャワハルラール・ネルー]]が、副首相兼内相には{{仮リンク|サルダール・V.J.パーテル|en|Vallabhbhai Patel}}が就任し、この新内閣が行政権を行使した。また、1946年12月から1950年まで憲法制定議会が立法権を行使し、それは[[インド憲法]]の施行後、総選挙で成立したインド連邦議会に継承された。司法権は新設置のインド最高裁判所に移行した。さらに憲法制定議会議長の[[ラージェーンドラ・プラサード|R.プラサード]]が大統領に、憲法起草委員長の[[ビームラーオ・アンベードカル|B.R.アンベードカル]]が法務大臣に就任した。こうして憲法施行とともに政治の大権は国民の側に移された。
しかし、インド内のヒンドゥー教徒とイスラム教徒の争いは収拾されず、1947年8月15日、[[イスラム教]]国家の[[パキスタン (ドミニオン)|パキスタン]]との[[インド・パキスタン分離独立|分離独立]]となった。前日には、インドを東西から挟むパキスタンが誕生していた。
 
[[インド憲法]]に書かれた正式国名は「Indian Sovereign Socialist Secular Democratic Republic」であり'''社会主義共和国'''を標榜している。独立後は他の社会主義国ほど義務教育の完全普及や身分差別廃止の徹底はうまくいかず、近年においても小学校さえ行けない子も多く貧富の差も激しいが、不可触賎民出身の大統領([[コチェリル・ラーマン・ナラヤナン]])や大臣([[アンベードカル]])も出るなど特例も出てきている。
[[1948年]][[1月30日]]、マハトマ・ガンディーは、ムスリムに対するガンディーの「妥協的」な言動に敵意を抱いていた、かつてヒンドゥー教の[[マラータ同盟]]のあった[[マハーラーシュトラ州]]出身の{{仮リンク|ヒンドゥー至上主義|en|Hindutva}}活動家の{{仮リンク|ナートゥーラーム・ゴードセー|en|Nathuram Godse}}によって、同じヒンドゥー教の{{仮リンク|マールワール|en|Marwar}}商人[[ビルラ]]の邸で射殺された。
 
しかし、インド内のヒンドゥー教徒とイスラム教徒の争いは収拾されず、1947年8月15日、[[イスラム教]]国家の[[パキスタン (ドミニオン)|パキスタン]]との[[インド・パキスタン分離独立|分離独立]]となった。前日には、インドを東西から挟むパキスタンが誕生していた。
初代首相(外相兼任)には[[ジャワハルラール・ネルー]]が、副首相兼内相には{{仮リンク|サルダール・V.J.パーテル|en|Vallabhbhai Patel}}が就任し、この新内閣が行政権を行使した。また、1946年12月から1950年まで憲法制定議会が立法権を行使し、それは[[インド憲法]]の施行後、総選挙で成立したインド連邦議会に継承された。司法権は新設置のインド最高裁判所に移行した。さらに憲法制定議会議長の[[ラージェーンドラ・プラサード|R.プラサード]]が大統領に、憲法起草委員長の[[ビームラーオ・アンベードカル|B.R.アンベードカル]]が法務大臣に就任した。こうして憲法施行とともに政治の大権は国民の側に移された。
 
[[1948年]][[1月30日]]、マハトマ・ガンディーは、ムスリムに対するガンディーの「妥協的」な言動に敵意を抱いていた、かつてヒンドゥー教の[[マラータ同盟]]のあった[[マハーラーシュトラ州]]出身の{{仮リンク|ヒンドゥー至上主義|en|Hindutva}}活動家の{{仮リンク|ナートゥーラーム・ゴードセー|en|Nathuram Godse}}によって、同じヒンドゥー教の{{仮リンク|マールワール|en|Marwar}}商人[[ビルラ]]の邸で射殺された。独立当初は[[イギリス国王]]を[[君主]]に戴く[[英連邦王国]]([[インド連邦 (ドミニオン)|インド連邦]])であり、1950年に共和制に移行した。政教分離の'''[[世俗主義]]'''という柱で国の統一を図った。
 
[[インド憲法]]に書かれた正式国名は「Indian Sovereign Socialist Secular Democratic Republic」であり'''社会主義共和国'''を標榜している。独立後は他の社会主義国ほど義務教育の完全普及や身分差別廃止の徹底はうまくいかず、近年においても小学校さえ行けない子も多く貧富の差も激しいが、不可触賎民出身の大統領([[コチェリル・ラーマン・ナラヤナン]])や大臣([[アンベードカル]])も出るなど特例も出てきている。
 
[[1948年]][[9月13日]]、{{仮リンク|ポロ作戦|en|Operation Polo}}でインドが[[ニザーム王国]]を併合。