「国際連合本部ビル」の版間の差分

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Koh-etsu (会話 | 投稿記録)
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== 建設 ==
国際連合は、本部ビルの建設に当たって、コンペを実施するのではなく、各国の一流の建築家を集めて共同チームを結成することとした。アメリカの建築家{{仮リンク|ウォーレス・ハリソン|en|Wallace Harrison}}が計画責任者に指名され、加盟国の推薦により設計委員会が選定された。設計委員会のメンバーは、N.D. Bassov([[ソビエト連邦]])、Gaston Brunfaut([[ベルギー]])、Ernest Cormier([[カナダ]])、[[ル・コルビュジエ]]([[フランス]])、[[梁思成]]([[中華民国]])、[[スヴェン・マルケリウス]]([[スウェーデン]])、[[オスカー・ニーマイヤー]]([[ブラジル]])、ハワード・ロバートソン([[イギリス]])、G. A. Soilleux([[オーストラリア]])、Julio Villamajo([[ウルグアイ]])であった<ref name="UN"/>。
 
 
ハリソンと設計委員会のメンバーは、[[1947年]]から[[ロックフェラー・センター]]のオフィスで設計作業を開始し、約50の基本デザインを作成、検討した。敷地は比較的手狭であったので、事務局ビルを高層化する必要があったが、これを42番ストリート沿いの[[公共交通機関]]からのアクセスを考慮して敷地南側に配置した。なお、南北に長い向きとなったのは、見栄えの配慮もあるが、東西に長くすると敷地全体への[[日照]]を妨げるためでもあった。ニューヨークの建築法規に法的に拘束されてはいなかったが、[[消防]]基準など、基本的にはニューヨークの条例に従った設計となっている。当初の建築予算は約8500万ドルであったが、[[トリグブ・リー]]事務総長の指示により、2000万ドル予算をカットすることとなり、事務局ビルは45階建てから39階建てとし、会議室スペースも減らし、図書館には既存の建物を利用することとした<ref name="UN"/>。こうして、1947年[[11月20日]]、総会で、予算6500万ドルの国連本部建設計画が承認され、その資金全額につきアメリカ合衆国政府から無利息で貸付けを受けることとなった<ref>{{Cite web |url=http://daccess-dds-ny.un.org/doc/RESOLUTION/GEN/NR0/038/89/IMG/NR003889.pdf?OpenElement |title=182 (II) Headquarters of the United Nations |format=PDF |publisher= United Nations |date=1947-11-20 |accessdate=2011-04-25 }}</ref>。