「アメリカ合衆国の歴史」の版間の差分

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鉄道建設は苦難の連続であった。西側からは新参の中国人移民が駆りだされ、[[シエラネバダ山脈 (アメリカ合衆国)|シエラネバダ山脈]]で低賃金の労働をしたが、爆薬として[[ニトログリセリン]]を、安全性を軽視したまま使用させたことにより、多数の死者を出した。東側からは食詰めの貧困白人が駆り出され、鉄道沿線に労働者街を形成したが、この新たな街は法秩序が確立されておらず、流入したアウトローのギャングによる盗賊行為が頻発したため、労働者は自ら武装して、戦いながら線路を建設した。また、無法者を裁判無しで処刑できる、いわゆる「リンチ法」が制定され、一定の抑止力となった。さらに、生活圏を脅かされることを恐れたインディアンが線路沿いで蜂起し、白人労働者を殺戮したため、政府は2000人の軍を沿線に投入して制圧した。[[1869年]]に最初の横断鉄道が開通したことを皮切りに、次々に開業した。南北戦争の残務処理も終わり、アメリカは実質的にも精神的にも、国土が一つとなった。
 
合衆国はやがて、鉄道建設の邪魔になり、西部のインディアンの生活の糧でもあるバッファローの政策としての絶滅作戦をとる。組織的なバッファロー虐殺によって、平原のバッファローはただ殺され、19世紀初頭に4000万頭を数えたバッファローは1890年ころには1000頭を切ってしまった。平原のインディアンたちは生活の柱を奪われ、保留地で飢えることとなった。また、[[1875年]]頃に[[:en:Albert's swarm|Albert's swarm]]などの[[蝗害]]を引き起こしていた[[ロッキートビバッタ]]も、[[アメリカバイソン|バッファロー]]が減少したことで草原の環境が激変した結果、[[1902年]]頃には絶滅することになった。
 
横断鉄道の完成によって西部との物流・交流が活発になり、'''[[西部開拓時代]]'''が到来した。広大な西部では放牧が盛んに行われるようになった。牛を追いかけて生活する[[カウボーイ]]は西部を象徴するものとなり、テキサスから国土を縦断して鉄道駅まで牛を追うロングドライブといった生活方式も生まれた。農業は、少ない人口で効率よく生産するため機械化が進み、大規模農業をすることができた。鉄道・道路網の拡大によって西部との一体化が進み、国内市場の拡大は工業産業を飛躍的に高めた。しかし法秩序が確立されていなかった西部では、ギャングや盗賊によって治安が悪化し、これを防ぐために[[保安官]]が登場した。