「イタリア本土 (古代ローマ)」の版間の差分

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533年、東方皇帝と西方皇帝を兼ねる[[ユスティニアヌス1世]]の命を受けた[[ベリサリウス]]将軍によって東ゴート王国は滅ぼされ、イタリア本土は再びローマ帝国の支配下へと戻った。しかしユスティニアヌス1世はイタリア本土を本国とすることはなく、「ラヴェンナ地方区」として総督による統治を継続した。そしてランゴバルト軍によって再びイタリア本土全域が蛮族の手へと戻った。
 
[[ランゴバルト王国]]も後に滅ぼされると、以降は[[教皇領]]や[[神聖ローマ帝国]]・[[ヴァイキング]]・[[アラブ人]]などによる分立の時代を迎える。イタリア本土が再び一つの領域として大部分がまとめられるのは、[[サルデーニャ王国|サルデーニャ・ピエモンテ王国]]によるイタリア統一後のこととなる。
 
==引用==