「街頭テレビ」の版間の差分

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この大成功に触発され、放送局のみならず、受像機製造メーカーや販売店も競って街頭テレビを設置し、自社製品の優位性を訴えた。
 
間もなく白黒テレビは家庭へと普及していき、[[三種の神器 (電化製品)‎ |三種の神器]]の一つに数えられた。特に[[1958年]]の[[東京タワー]]竣工と[[ミッチー・ブーム|ミッチー(ご成婚)ブーム]]を境に急速に浸透した。そのため街頭テレビは、[[1960年]]より放送を開始した[[カラーテレビ]]の普及に目的を転じた。しかし[[1964年]]の[[東京オリンピック]]をきっかけとして、カラーテレビもまた各家庭に浸透していったため、次第に街頭テレビは目的を失い、推戴していった。
 
しかしながら公共の場へのテレビの設置自体は廃れる事はなく、その後もメーカーが新製品の宣伝目的として設置するなど、かつてほどの勢いは無いが、街頭テレビに類する存在は、現在もなお続いていると言える。[[1980年代]]から2000年代初頭にかけて、[[ハイビジョン]]の普及目的で受像機が公共の場所に設置されたこともあった。
[[1980年代]]以降、[[ハイビジョン]]の普及目的で公共の場所に設置されている受像機も、街頭テレビの一種である。
 
==註==