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戦後[[1960年]]までは[[プロ野球]]経験者の社会人野球復帰が1チーム3人まで認められていたが、[[1951年]]の[[南海土建野球部]]に[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]の二軍選手が集団「出向」して参加した事例で関係が悪化し、[[1961年]]の[[柳川事件]](シーズン中に[[日本生命硬式野球部|日本生命]]の[[柳川福三]]選手を強引に[[中日ドラゴンズ]]が獲得した問題)が決定的亀裂となり、これ以後プロ選手の社会人野球復帰が禁止されてしまった。
 
しかし、[[1992年]]の[[バルセロナオリンピック]]の際に行われたプロ・アマ交流試合をきっかけにプロ野球チームとの交流も盛んに実施されており、段階を追って選手の社会人野球への復帰が認められたり、練習試合でも主として二軍チームとの交流戦を積極的に実施している。また[[広島東洋カープ]]の二軍チームが広島大会(5月)に限定して2002年度から公式戦出場を果たし、2003年度から2年連続で同大会優勝を飾っている([[広島東洋カープ (ファーム)#社会人野球大会出場戦績|社会人野球大会出場戦績の項]]参照)。
 
また、近年は元プロ野球選手が主宰者・監督・コーチなどの形で就任するクラブチームの結成も相次いでいる。