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| Occupation = ミュージシャン、シンガー
| Years_active = 1941年~1983年
| Label = アリストクラット・レコード<br />[[チェス・レコード]]<br />ブルースカイ・レコード
| Associated_acts =
| URL = [http://www.muddywaters.com/ www.muddywaters.com]
| Notable_instruments =
}}
'''マディ・ウォーターズ'''('''Muddy Waters''', [[1915年]][[4月4日]] - [[1983年]][[4月30日]])は、[[アメリカ合衆国|米国]]の[[ブルース]]・[[歌手|シンガー]]、[[ギタリスト]]。本名は、マッキンリー・モーガンフィールド McKinley(McKinley Morganfield)。シカゴにおいて[[エレクトリックギター|エレキ・ギター]]を使ったバンド・スタイルのブルースを展開し、[[シカゴ・ブルース]]の形成に大きな足跡を残したことから、「シカゴ・ブルースの父」と称される。生涯に6度[[グラミー賞]]を受賞し<ref>[http://www.allmusic.com/artist/muddy-waters-mn0000608701/awards Muddy Waters - Awards : AllMusic]</ref>、没後の1987年には[[ロックの殿堂]]入りを果たした<ref>[http://rockhall.com/inductees/muddy-waters/ Muddy Waters: inducted in 1987 | The Rock and Roll Hall of Fame and Museum]</ref>
 
その豊富で深淵な声、豪快なボトルネック・ギター、カリスマ的キャラクターで、ブルースの第一人者のひとりとなった。ロック界においても、[[ローリング・ストーンズ]]、[[エリック・クラプトン]]、[[ロリー・ギャラガー]]、[[ポール・ロジャース]]、 [[ザ・バンド]]など、彼から影響を受けたミュージシャンは多く、その影響力は計り知れない。
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[[1947年]]、サニーランド・スリムに誘われ、アリストクラット・レーベル(後の[[チェス・レコード]])のレコーディングに参加。これは、スリムのバッキングをするためであったが、マディも"Gypsy Woman"、"Little Anna Mae"の2曲をレコーディングした。これが彼のレーベルからのデビュー盤となった。このときの編成はスリムのピアノ、[[ビッグ・クロフォード]]のベースのみをバックにつけたもので、まだバンド・スタイルではなかった。
 
バンド・スタイルでレコーディングするようになったのは、[[1950年]]のパークウェイのセッションから。[[リロイ・フォスター]]と[[リトル・ウォルター]]がヴォーカルを取るセッションではあったが、初めてウォルターがハーモニカをプレイするなど、実質的にマディ・ウォーターズ・バンドの始動とも言える内容であった。パークウェイに負けじと、続いてチェスもマディをバンド・スタイルでレコーディングするようになった。[[1953年]]には[[オーティス・スパン]]、[[1954年]]には[[ウィリー・ディクスン]]がレコーディングに加わるようになり、マディのバンドの形が完成する。同年、"I'm Your Hoochie Coochie Man"、"[[恋をしようよ|I Just Want To Make Love To You]]"など、彼の代表曲となる曲がレコーディングされた。[[1955年]]にも"[[マニッシュ・ボーイ|Mannish Boy]]"などがヒットする。[[1958年]]には、初の[[イギリス]]・ツアーを体験する。
 
[[1963年]]、アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル出演のために渡欧。翌年、当時のフォーク・ブームに乗る形でアルバムFolk Singerをリリースした。同作には、ギターに[[バディ・ガイ]]が参加している。この年もフェスティバルのために再度渡欧した。
 
[[1968年]]、異色作Electric Mudをリリース。これは、ロック・ファンにアピールするために、大胆にサイケデリックなアレンジを施した作品であった。ロックへの傾向は続く[[1975年]]の「Wood Stock『Woodstock Albumでさらに顕著となる。ここでは[[ザ・バンド]]の[[リヴォン・ヘルム]]、[[ガース・ハドスン]]、[[ポール・バターフィールド]]などロックミュージシャンが参加している。翌[[1976年]]には、ザ・バンドの解散コンサート、「ラスト・ワルツ」に出演。ザ・バンドをバックに"Mannish Boy"を歌う様子は、同名のドキュメント映画に記録されている。
 
[[1977年]]、[[ジョニー・ウィンター]]と組んでブルースカイよりアルバム『[[ハード・アゲイン|Hard Again]]』をリリース。また、同年リリースされたウィンターのアルバム『[[ナッシン・バット・ザ・ブルース|Nothin' But the Blues]]』のレコーディングに参加。以後、ウィンターのサポートを得て[[1981年]]までに計4枚のアルバムをリリースした。
 
[[1980年]]5月、唯一の来日公演を行う。
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==ディスコグラフィー==
*[[1960年]] At Newport(Chess)
*1960年 Sings Big Bill Broozy(Chess)
*[[1964年]] Folk Singer(Chess)
*[[1967年]] Brass And The Blues(Chess)
*[[1968年]] Electric Mud(Chess)
*[[1969年]] After The Rain(Chess)
*1969年 Fathers And Sons(Chess)
*[[1971年]] The London Muddy Waters Sessions(Chess)
*[[1973年]] Can't Get No Grindin'(Chess)
*[[1974年]] London Revisited(Chess)
*[[1975年]] Woodstock Album(Chess)
*[[1977年]] [[ハード・アゲイン|Hard Again]](Blue Sky)
*[[1978年]] I'm Ready(Blue Sky)
*[[1979年]] Muddy "Mississippi" Waters Live(Blue Sky)
*[[1981年]] King Bee(Blue Sky)
 
==関連項目==
*[[デルタ・ブルース]]
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
==外部リンク==
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*[http://www.mudcat.org/muddy.cfm Muddy Waters article from - ''Mudcat Café'' - A Magazine Dedicated to Blues And Folk Music] {{en icon}}
*[http://www.bluesandrhythm.co.uk/documents/200.pdf THE COMPLETE MUDDY WATERS DISCOGRAPHY] {{en icon}}
*[http://www.wmg.jp/artist/MuddyWaters/index.html ワーナーミュージック・ジャパン -マディ・ウォーターズ ]
 
 
{{DEFAULTSORT:うおたあす まてい}}
[[Category:アフリカ系アメリカ人のミュージシャン]]
[[Category:アメリカ合衆国のギタリスト]]
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[[Category:ブルース・ミュージシャン]]
[[Category:ミシシッピ州の人物]]
[[Category:グラミー賞受賞者]]
[[Category:ロックの殿堂]]
[[Category:1915年生]]