「百武源吾」の版間の差分

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===九州帝大総長===
海軍を追われた百武は、[[九州帝国大学]]から総長候補に指名される。これは工学部が新総長を学外の第一人者から招聘する意向を固め、海軍経験者の中から百武を選んだものであった。[[学習院|学習院長]]経験者である[[野村吉三郎]]大将から説得され、百武は総長選挙に立候補し、昭和20年([[1945年]])3月から11月まで総長を勤めた。教官を敬わない学生の風紀を改めるべく海軍式の教育を普及させた。また、陸軍省と[[文部省]]が医学生の徴兵を猶予する協定を結んでいたにもかかわらず、医学生も[[根こそぎ動員]]していた[[西部軍管区 (日本軍)|西部軍]]に対して直談判し、徴兵された医学生を大学に復帰させた。
 
===戦後===
昭和20年([[1945年]])8月15日、百武は辞表を提出し、[[静岡県]][[引佐郡]]に移住し帰農する。64歳になっていた百武は自らの手で畑の開墾を始め、夜明け前から日没後まで農作業に追われた。訪れた人が涙を流すほどのあばら家生活<ref>『異色の提督 百武源吾』p171</ref>で、最初の2年は何も収穫できないような状態であったが、自給自足できるまでに成功させた。