「ホセ・イバール」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
29行目:
 
== 来歴・人物 ==
{{by2|1986}}-{{by2|1987}}シーズンから国内リーグ"[[セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル]]"の[[バゲーロス・ラ・アバナ (野球チーム)|ラ・アバナ]]に所属。{{by2|1994}}-{{by2|1995}}シーズンに14勝を記録、[[最多勝]]投手になる。1995年の[[IBAFインターコンチネンタルカップ|インターコンチネンタルカップ]]で初めて[[野球キューバ代表|キューバ代表]]入り。

{{by2|1997}}-{{by2|1998}}シーズン前に体重の減量に取り組み、このシーズンで196.1[[イニング]]を投げ、国内リーグ史上初となる20勝(2敗)を記録した他、[[防御率]]1.51・189[[奪三振]](50[[与四球]])で[[最多奪三振]]、[[最優秀防御率]]、最多勝の投手三冠を独占。1998-{{by2|1999}}シーズンは193.0イニングを投げ、18勝(2敗)・防御率2.28・158奪三振(53与四球)で2年連続最多勝を獲得、2シーズンで38連勝のリーグ新記録を樹立して2年連続[[最優秀選手|MVP]]を受賞。

1999年[[3月28日]]に[[ハバナ|ハバナ市]]の[[エスタディオ・ラティノアメリカーノ球場]]で開催された、歴史的なキューバ代表対[[ボルチモア・オリオールズ]]の試合に先発したものの、2回に[[チャールズ・ジョンソン]]に2ラン本塁打を打たれ、結果を残せなかった。
2000年の[[シドニーオリンピックにおける野球競技|シドニーオリンピック]]では予選ラウンドで[[野球アメリカ合衆国代表|アメリカ代表]]相手に7イニングを無失点・10奪三振の好投をしたものの、決勝戦では[[リリーフ投手]]として3.1イニングを投げて3失点、チームは[[ベン・シーツ]]に完封されて敗北した。{{by2|2001}}-{{by2|2002}}シーズンは129.1イニングを投げ、防御率1.81・11勝3敗・142奪三振(35与四球)の好成績を残す。2002年のインターコンチネンタルカップでは19.2イニングで24奪三振・1自責点と代表チーム投手陣で最も良い成績だった。{{by2|2003}}-{{by2|2004}}シーズンは2試合に登板した後、規律違反を理由にチーム名簿から除外される。2004年に[[アメリカ合衆国]]への[[亡命]]未遂で逮捕されて国内リーグから永久追放された。逮捕時に銃を不法所持していたと伝えられている。切れのある素晴らしい[[スライダー (球種)|スライダー]]を投げ、"チェオ"の愛称で呼ばれた。