「認識論」の版間の差分

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古典的認識論は、既に述べたとおり認識主体がどのようにして認識客体を認識するのかという二項対立図式において認識をとらえようとしたが、この難問が認識論の危機を招くこととなった。
 
カントは、二項対立図式を前提としつつ、[[現象]]と[[物自体]]を厳密に区別したのであるが、[[アルトゥル・ショーペンハウアー|ショーペンハウアー]]は、理性によっては認識できない物自体という概念を維持しつつ、現象とは私の[[表象]]であり、物自体とはただ生きんとする盲目的な意思そのものにほかならないとして理性を批判した。このような図式を引き継いだ[[ニーチェ]]の思想はやがて[[生の哲学]]と呼ばれる潮流を作り、ドイツ・フランスで多くの哲学者に影響を与えたが、やがて[[実存主義]]に吸収されていった。
 
[[フィヒテ]]に始まり、[[ヘーゲル]]によって完成を見た[[ドイツ観念論]]は、理性によって現象と物自体の区別を乗り越えるような形で発展した。ヘーゲルによれば、カントの認識論は、認識の限界を認識するという循環論法的な議論であって、それはあたかも水に入る前に水泳を習うようなものであって、本来的に不可能である。ヘーゲルの批判は認識論にとって本質的な異議であったが、ヘーゲルの死後、[[ヘーゲル学派]]は分裂・対立を繰り返して崩壊し、かえって哲学の危機の時代を招いた。