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[[和歌山県]][[和歌山市]]小松原通6丁目(現・吹上3丁目)にある商店街の小さな[[履物]][[小売]]商<ref name="lib">『リベラルタイム』2005年10月号、p.22-23 田中幾太郎「『貧困と差別』に憤った少年期」</ref>の次男として、[[1951年]]([[昭和]]26年)に生まれる<ref name="bunshun0311">『文藝春秋』2003年11月号</ref>。実家は近所では比較的裕福な家庭で<ref name="lib" />、実兄の竹中宣雄は、後に[[ミサワホーム]]社長となる人物であった。
 
和歌山市立吹上小学校、[[和歌山市立西和中学校]]、[[和歌山県立桐蔭中学校・高等学校|和歌山県立桐蔭高等学校]]に進む。当時は社会の貧富の差に矛盾を感じ、高校の倫理社会の教師から「大学に行ける君たちは、行けない人の分まで勉強しなきゃいけないんだ」<ref>竹中平蔵、佐藤雅彦『経済ってそういうことだったのか会議』(日本経済新聞社)</ref>と言われて強い印象を受けた他、同校2年在学中、1967年11月、和歌山市の「第4回[[平和・人権・民主主義を考える全国高校生集会|全国高校生部落問題研究集会]]」に出席し、和歌山県の或る集落の出身者が過酷な就職差別を受けたという報告に接して怒りで顔を真っ赤にしたこともある<ref name="lib" />。1973年(昭和48年)に[[一橋大学]][[経済学部]]を卒業<ref name="bunshun0311" />。大学では[[山澤逸平]][[ゼミナール]]に所属していたが、当初は[[小島清]]ゼミナールへの参加を希望していたという。[[仁坂吉伸]]和歌山県知事とは高校の同級生である。
 
=== 博士取得まで ===