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発祥が冒頭部と節に分離して詳述されていた為、冒頭部は簡潔にして詳細な内容を節に統合
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|url=http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/215282/m0u/%E6%81%B5%E6%96%B9%E5%B7%BB/|title=恵方巻 【えほうまき】|language=日本語|accessdate=2013年2月3日}}</ref><ref name="kotobank">{{Cite web|author=コトバンク|authorlink=コトバンク|coauthors=デジタル[[大辞泉]]|url=http://kotobank.jp/word/%E6%81%B5%E6%96%B9%E5%B7%BB|title=恵方巻【エホウマキ】|language=日本語|accessdate=2013年2月3日}}</ref>。大阪地方の地元における名称として、単に「'''巻き寿司'''<ref name="goo"/><ref name="kotobank"/>」や「'''丸かぶり寿司'''<ref>[http://makitani.com/2009/02/ehoumaki.html 真摯 代表取締役 Webマーケティング・コンサルタント] 「恵方巻きは知らなかったけれど、丸かぶり寿司なら毎年食べてた」2009-02-03</ref>」などがある。別称として「'''恵方寿司'''」「'''招福巻'''」「'''幸運巻'''」「'''開運巻き寿司'''」「'''太巻き丸かぶり'''」などと表現されることもある。
 
起源・発祥は複数の諸説が存在しており(「[[#起源・発祥]]」で詳述)、信憑性についても定かではない<ref name="iwasaki"/><ref name="hokkaido-bunkyodai"/><ref name="kousai20100122"/>。
発祥については、大阪船場の旦那衆が節分の日に行っていた、[[遊女]]に巻きずしを「丸かぶり」させるお大尽遊び([[花魁]]遊び)を元とする説<ref>{{Cite web|author=沓沢博行 |url=http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M99/M999179/11.pdf |title=比較民俗研究「現代人における年中行事と見出される意味- 恵方巻を事例として」|accessdate=2009年12月30日}}</ref>、江戸時代の終わり頃、大阪の商人たちの商売繁盛と厄払いの意味合いで、立春の前日の節分に「幸運巻寿司」の習慣が始まったとされたと言う説などがある<ref>{{Cite web|author=沓沢博行 |url=http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M99/M999179/11.pdf |title=比較民俗研究「現代人における年中行事と見出される意味- 恵方巻を事例として」|accessdate=2013年2月2日}}</ref>が、元々の「丸かぶり」という言葉から商売繁盛家内安全を願うものではなかったとも言われる<ref>産経新聞2008年1月29日 大月隆寛の論説[http://web.archive.org/web/20080201093004/http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080129/trd0801290250000-n1.htm]</ref>。
 
[[商業|商業的]][[イベント|催事]]として、これを利用した関係業界の[[プロモーション|販売促進]]活動・関連商品・[[商戦]]が[[20世紀]]後半から[[活性化]]しており([[#沿革]]、参照)、「日本一長い恵方巻き」といった関連するイベントも行われている<ref>{{Cite news |title=長さ122m“日本一”の恵方巻き完成 志布志 |url=http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=38033 |newspaper=373news.com |publisher=南日本新聞 |date=2012-01-29 |accessdate=2013-01-28 |archiveurl=http://wayback.archive.org/web/20120129191511/http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=38033 |archivedate=2012-01-29}}</ref>。<!--近年に作られたイベントで、日本の文化や風習ではない。関西で恵方巻きを食べる文化、まして特定の方向を向かって食べるなどという日本文化も存在しない。-->
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7種類の具を使用した太巻きを使うが、この数字は商売繁盛や無病息災を願って[[七福神]]に因んだもので福を巻き込む意味があるとされる<ref name="gengo"/>。特定の7種の素材が決まっているわけではなく、[[かんぴょう]]、[[キュウリ]](レタス・かいわれ)、[[シイタケ]]煮、[[だし巻き卵|伊達巻(だし巻・厚焼き卵)]]、[[ウナギ]](アナゴ)、[[田麩|桜でんぶ(おぼろ)]]等が多いが<ref name="gengo">{{Cite web|author=語源由来辞典|url=http://gogen-allguide.com/e/ehoumaki.html|title=恵方巻き|language=日本語 |accessdate=2010年2月5日 |quote=[http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100129134305.pdf 商標権侵害差止等請求控訴事件 - 平成20(ネ)2836] に資料として「語源由来辞典」の記述あり}}</ref>、他に高野豆腐、しそ(大葉)、三つ葉(ほうれん草)、しょうが、菜の花、かまぼこ(カニ風味かまぼこ)等が使われることがある<ref group="注">[[宮城県]][[気仙沼市]]では後述の栃木県の磐裂根裂神社のものと同様直径5cm長さ20cmほどに作るが、酢飯ではなく普通のご飯を使い巻き込む具は梅干しと醤油の2つだけであり、名称も単に「太巻」としか言わない。</ref>。2000年代後半以降ではイカ、エビ、まぐろ(ネギトロ・漬けマグロ)、イクラ、サーモン(焼き紅鮭)などを使い「海鮮恵方巻」と称して店頭で売られていることもある([[#便乗商品|後述]])。
 
大阪地方の地元で多用<ref name="goo"/><ref name="kotobank"/>されている「丸かぶり」という言葉から、元々は商売繁盛家内安全を願うものではなかった、との考察もある<ref>{{Cite web|author=大月隆寛|date=2008-01-29|url=http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080129/trd0801290250000-n1.htm|title=【断 大月隆寛】「豆まき」の復権を|work=MSN産経ニュース|publisher=[[産経新聞]]|language=日本語|archiveurl=http://web.archive.org/web/20080201093004/http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080129/trd0801290250000-n1.htm||archivedate=2008-02-01|accessdate=2013-02-03}}</ref>。
 
このイベントが活発化したきっかけは、[[#沿革|後述]]のように関係業界の販売促進活動である。[[2000年代]]以降には、形が恵方巻に類似する[[円柱 (数学)|円柱状]]の食べ物、[[ロールケーキ]]などの各種商品においても販売促進活動が見られる([[#便乗商品]]にて後述)。
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== 沿革 ==
かつて行われ廃れていた事柄であったが、大阪の大阪鮓商組合や大阪海苔問屋協同組合が販売促進の為に(スーパーやコンビニでも)大々的な宣伝をしており、日本のイベントとして各地に広げている。
 
=== 起源・発祥 ===
{{出典の明記|date=2013年2月|section=1}}
恵方巻の起源・発祥は諸説存在し、信憑性も定かではない<ref name="iwasaki"/><ref name="hokkaido-bunkyodai"/><ref name="kousai20100122"/>。
* 大阪船場の旦那衆が節分の日に行っていた、[[遊女]]に巻きずしを「丸かぶり」させるお大尽遊び([[花魁]]遊び)を元とする説<ref>{{Cite web|author=沓沢博行 |url=http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M99/M999179/11.pdf |title=比較民俗研究「現代人における年中行事と見出される意味- 恵方巻を事例として」|accessdate=2009年12月30日}}</ref>。
 
* 江戸時代の終わり頃、大阪の商人たちの商売繁盛と厄払いの意味合いで、立春の前日の節分に「幸運巻寿司」の習慣が始まったとされたとする説<ref>{{Cite web|author=沓沢博行 |url=http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M99/M999179/11.pdf |title=比較民俗研究「現代人における年中行事と見出される意味- 恵方巻を事例として」|accessdate=2013年2月2日}}</ref>。
* [[江戸時代]]末期から[[明治|明治時代]]初期において、大阪の商人(「[[船場 (大阪市)|船場]]の商人」とする資料も存在する<ref name="iwasaki"/><ref name="hokkaido-bunkyodai"/><ref name="kousai20100122"/>)による商売繁盛の祈願事として始まったという説<ref name="goo"/><ref name="iwasaki">{{Cite journal|和書|author=岩崎竹彦|date=2003-11-30|title=フォークロリズムからみた節分の巻ずし|journal=日本民俗学|issue=236|publisher=日本民俗学会|url=http://www.fsjnet.jp/periodical/periodical_data/backnumber_221-240.html}}</ref><ref name="hokkaido-bunkyodai">{{Cite web|author=荒井三津子・清水千晶||date=2008-03|url=http://libro.do-bunkyodai.ac.jp/research/pdf/journal32/12.pdf|title=食卓の縁起に関する研究 I -恵方巻の受容とその背景-|format=PDF|work=[http://libro.do-bunkyodai.ac.jp/research/journal_32.html 北海道文教大学研究紀要 第32号 -2008年3月-]|pages=調査報告|publisher=[[北海道文教大学|北海道文教大学鶴岡記念図書館]]|language=日本語|accessdate=2010年2月5日}}</ref><ref name="kousai20100122"/>。起因として「厄落とし・縁起担ぎ」「船場にある階段の中段で女性が太巻きを丸かじりして願い事をした」「船場の旦那衆の遊び」が挙げられている<ref name="iwasaki"/><ref name="hokkaido-bunkyodai"/>。
* [[豊臣秀吉]]の家臣・[[堀尾吉晴]]が偶々節分の前日に海苔巻きのような物を食べて出陣し、戦いに大勝利を収めたという故事を元にしているという説(ただし、[[海苔#板海苔の誕生|板海苔の誕生]]は江戸時代であることから、この説の根拠の乏しさが指摘されている)<ref name="iwasaki"/><ref name="hokkaido-bunkyodai"/>。{{独自研究範囲|date=2013年2月|質素倹約の時勢である点からも、この説の根拠は乏しい<ref group="注">祝い膳は、勝栗・打ち鮑・昆布。</ref>。}}