「喜連川頼氏」の版間の差分

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| 幕府 =
| 主君 =
| 藩 = [[下野国|下野]][[喜連川藩]]初代藩主
| 氏族 = [[足利氏]]、[[喜連川氏]]
| 父母 = 父:[[足利頼純]]、母:[[佐野晴綱]]の娘
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'''喜連川 頼氏'''(きつれがわ よりうじ)は、[[下野国|下野]][[喜連川藩]]初代[[藩主]]。[[小弓公方]]・[[足利義明]]の次男・[[足利頼純|足利頼淳]](頼純)の次男。母は佐野晴綱の娘。
 
== 経歴 ==
天正20年([[1593年]])、兄の[[足利国朝]]が[[文禄の役]]で[[九州]]に赴く途上の[[安芸国]]で病死したため、兄の正室であった足利氏姫が頼氏と再婚することで[[足利氏]]後裔[[喜連川氏]]の名跡を継いだ。[[慶長]]5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]では頼氏は出陣しなかったが、戦後に[[徳川家康]]に対して戦勝を祝う使者を派遣したため10001,000石を加増され、[[喜連川藩]]が立藩された。
 
喜連川藩の知行地はわずか50005,000石弱に過ぎなかったが、[[江戸幕府]]を開いた徳川家康から[[足利氏]]の名族としての伝統を重んじられ、10万石並の[[四品以上に昇進する大名家一覧|国主格]][[大名]]の待遇を受けた。
 
==外部リンク==