「1982年サンマリノグランプリ」の版間の差分

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== 概要 ==
第2戦[[ブラジルグランプリ|ブラジルGP]]で優勝した[[ネルソン・ピケ]]([[ブラバム]])と、2位の[[ケケ・ロズベルグ]]([[ウィリアムズF1|ウィリアムズ]])のマシンに搭載された水タンク<ref group="注釈">走行中に水を噴射してマシンの重量を減らし、レース後に水を注入して最低重量をクリアするというもの。</ref>に対して[[FISA]](国際自動車スポーツ連盟)側が抗議。この時点では抗議は退けられたが<ref>『F1レース10年の軌跡』([[グランプリ出版]]、1991年)p.105。</ref>、第3戦[[アメリカ西グランプリ|アメリカ西GP]]後に両者失格の裁定が下され、水タンクの使用も禁止された。[[フォーミュラ・ワン・コンストラクターズ・アソシエーション|FOCA]]側はこの裁定に反発、ブラバム・ウィリアムズ・[[チーム・ロータス|ロータス]]や[[マクラーレン]]など10チームが[[サンマリノグランプリ|サンマリノGP]]の[[ボイコット]]を決める。これに対し、マクラーレンの[[ニキ・ラウダ]]がレースに出走するよう各チームに働きかけたが、ボイコットの決定が翻ることはなかった<ref name="SMN2">『オートスポーツ』p.38。</ref>。
 
レースに参加したのは、FISA側の[[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]]・[[ルノーF1|ルノー]]・[[アルファ・ロメオ]]3チームと[[トールマン]]、FOCA側でありながら出走した[[ティレル]](新しいスポンサーの[[:en:Candy (company)|Candy]]がイタリアの企業である関係上<ref name="SMN1">『オートスポーツ』p.36。</ref><ref>『F1レース10年の軌跡』p.106。</ref><ref group="注釈">[[アロウズ]]にもイタリアの企業であるラグノがスポンサーに付いていたがレースには出走していない。</ref>)、[[ATS (F1・ドイツ)|ATS]]、[[オゼッラ]]の7チーム・14台である。