「ハンス・フォン・ドホナーニ」の版間の差分

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[[第二次世界大戦]]の勃発直前、[[国防軍最高司令部]][[アプヴェーア|防諜局]]の[[ハンス・オスター]]は長官の[[ヴィルヘルム・カナリス]]にドホナーニを推挙し、反[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]運動の中心人物に据えた。1942年には[[ユダヤ人]]として追われていた弁護士フリードリヒ・アルノルトとユリウス・フリースやその家族を防諜局のエージェントに偽装して[[スイス]]に送り込んで亡命させた。合計13人がドホナーニの偽造した書類によって亡命を果たした。ドホナーニ自身もスイスを秘密訪問して亡命者受け入れの下工作をしていた。1943年3月には[[ヘニング・フォン・トレスコウ]]による[[ヒトラー暗殺計画]]に参加し、暗殺成功後の[[クーデター]]を準備したが、失敗に終わった。
 
1943年4月5日、ドホナーニは不正送金および汚職の容疑で逮捕された。しかしドホナーニに対する裁判は、反ナチ派の陸軍裁判官[[カール・ザック]]([[:de:Karl Sack]])により意図的に引き延ばされた。1944年にドホナーニは[[ザクセンハウゼン強制収容所]]に送られた。同年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件が失敗に終わると、ドホナーニのヒトラー暗殺計画への関与が明らかになった。翌年4月8日、収容所内でドホナーニは法的根拠の無い即決裁判で[[死刑]]判決を受け、[[絞首刑]]が執行された。
 
== 戦後の評価 ==