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鍼の元は石器時代の古代中国において発明された。'''砭石'''(へんせき)もしくは石鍼(いしばり、石針とも書く)とよばれるこの鍼の元は主に膿などを破って出すのに使われた。これが後に動物の骨を用いて作られた骨針、竹でできた竹針(箴)、陶器の破片でできた陶針などになっていった。現在使われる金属の鍼は[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]頃に作られ始めたといわれる。この鍼が[[黄河文明]]で発展した[[経絡]]の概念や臓腑学(ぞうふがく)、[[陰陽]]論(いんようろん)などと結びついて鍼治療が確立していく。[[黄帝内経]](こうていだいけい)と呼ばれる最古の中医学理論のテキストの中に、当時使われていた鍼を特徴で9つに分類した古代[[九鍼]]が紹介されている。(⇒詳細は[[鍼灸]]参照)
 
日本において鍼、[[灸]]、湯液などの[[伝統中国医学]]概念は[[遣隋使]]や[[遣唐使]]などによってもたらされたといわれている。[[奈良時代]]の[[律令制]]において既に鍼師([[官職名]]としては[[針博士]]・[[針師]])が[[医師]]、[[按摩]]師などと共に存在していたことが分かる。以降、鍼師は医師などと共に日本の医療の中核を担っていく。また、日本独自の鍼の発展として、[[984年]]に[[丹波康頼]]によって編纂された日本最古の医学書『医心方』を見ると鍼治療が当時の中医学概念より簡便化されたものになっていることがみられる。手技においても安土桃山時代に[[御園意斎]]が金や銀の鍼を木槌で叩いて打ち込む[[打鍼術|打鍼法]]や、[[江戸時代]]に盲人の杉山検校こと[[杉山和一]]によって作られた[[#管鍼法|管鍼法]]などがある。特に杉山和一の影響は大きく、管鍼法は日本の主流の技法になっており、日本の盲学校で鍼灸を教えるのは杉山和一が各所につくった鍼治学問所から発展したものである。
 
世界においては1950年代ごろからフランスや東欧諸国などが中国へ鍼灸の勉強をするための留学生が訪れたりしている。[[アメリカ合衆国]]では[[1971年]]、[[リチャード・ニクソン|ニクソン]]大統領訪中の際に同行した[[ニューヨーク・タイムズ]]の記者が[[虫垂炎]]にかかり、手術をおこなった後の違和感や疼痛の改善のために鍼灸を受けたことが知られている。