「ルートヴィヒ5世 (バイエルン公)」の版間の差分

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[[1351年]]、ブランデンブルク辺境伯領をルートヴィヒ6世に譲渡、引き換えに上バイエルンはルートヴィヒ5世の単独統治となった(オットー5世も所領を譲った)。[[オーストリア君主一覧#オーストリア公|オーストリア公]][[アルブレヒト2世 (オーストリア公)|アルブレヒト2世]]の尽力で[[1359年]]に破門を解除されるが、1361年に46歳で死去した。
 
マルガレーテとの間の子[[マインハルト3世 (チロル伯)|マインハルト]]に遺領が相続されたが、マインハルトも[[1363年]]に[[夭折した著名人一覧|夭折]]すると、[[ルドルフ4世 (オーストリア公)|ルドルフ4世]]とシュテファン2世が領土を巡って争うことになる。
 
== 家族 ==