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== 経歴 ==
=== ボストン・レッドソックス ===
{{by|1967年}}1月の[[MLBドラフト]]で[[ボストン・レッドソックス]]から1巡目(全体4位)に指名を受け入団。{{by|1967年}}[[9月18日]]の[[ボルティモア・オリオールズ]]戦でメジャーデビュー。{{by|1971年}}[[9月12日]]の[[デトロイト・タイガース]]戦でメジャー初本塁打を記録。{{by|1972年}}にレギュラーを獲得し、前半戦で打率.310・15本塁打の成績で[[1972年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]に初選出される。打率.293・22本塁打・61打点、リーグトップの9三塁打、共にリーグ2位の長打率.538・OPS.909を記録し、[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|ルーキー・オブ・ザ・イヤー]]を満票で受賞<ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/awards/awards_1972.shtml#ALroy|title=1972 Awards Voting|work=Baseball-Reference.com|language=英語 |accessdate=2013年2月2日 }}</ref>。
=== シカゴ・ホワイトソックス ===
{{by|1981年}}[[3月18日]]に[[シカゴ・ホワイトソックス]]と契約。同年は[[メジャーリーグベースボール#ストライキ|ストライキ]]でシーズンが中断・短縮された影響で96試合の出場に留まるが、[[シルヴァースラッガー賞]]を受賞。{{by|1983年}}は6月中旬まで打率が.200前後と不調だったが、7月に打率.366・10本塁打・31打点を記録するなど後半戦で打率.319・17本塁打・56打点と調子を上げ、チームの地区優勝に貢献。オリオールズとの[[1983年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]では打率.176に終わり、チームは1勝3敗で敗退。MVPの投票では自己最高の3位に入った。{{by|1985年}}は[[9月6日]]の[[テキサス・レンジャーズ]]戦で7打点を挙げるなど、打率.238ながらキャリアハイの37本塁打・107打点を記録し、2度目のシルヴァースラッガー賞を受賞。{{by|1988年}}に[[リック・フェレル]]が持つ捕手としての最多出場試合1806のメジャー記録を40年ぶりに更新。同年は76試合の出場ながら19本塁打を記録し、3度目のシルヴァースラッガー賞を受賞。その後捕手としての出場試合を2226まで伸ばすが、{{by|1993年}}[[6月28日]]に解雇され、現役を引退。
[[2000年]]、[[アメリカ野球殿堂]]入り。引退した3年後の[[1996年]]にホワイトソックスでの自身の[[野球の背番号|背番号]]'''72'''が、また殿堂入りした翌年の[[2001年]]にはレッドソックスで、在籍していたときの背番号'''27'''がそれぞれ[[野球界の永久欠番|永久欠番]]に指定された。
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== 獲得タイトル・表彰・記録 ==
* ルーキー・オブ・ザ・イヤー:1972年
* シルヴァースラッガー賞 3回:1981年,
* ゴールドグラヴ賞 1回:1972年
* [[MLBオールスターゲーム]]選出 11回:1972年 - 74年, 1976年 - 1978年, 1980年 - 1982年, 1985年, 1991年
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*'''太字'''はリーグ1位。
== 脚注 ==
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== 出典・外部リンク ==
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