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明帝により兄弟が殺されていたが、凡庸だった休範だけは粛清を免れた。[[472年]]に明帝が崩御すると、遺詔により[[司空]]となる。明帝の息子とされる蒼梧王[[後廃帝 (南朝宋)|劉昱]]が即位したが、この劉昱も叔父ら諸王十数人を殺したために叛逆を企て、[[473年]]に[[尋陽]]で挙兵して首都[[建康]]に迫ったが<ref name="新十八史略176">駒田『新十八史略4』、P176</ref>、474年に右衛将軍の[[蕭道成]]に敗れて殺された<ref name="新十八史略177">駒田『新十八史略4』、P177</ref><ref name="中華の崩壊150">川本『中国の歴史、中華の崩壊と拡大、魏晋南北朝』、P150</ref>。享年27。
 
この反乱平定により、蕭道成は国務に参画するようになり、後に[[斉 (南朝)|斉]]建国の礎のひとつとなった<ref name="新十八史略177">駒田『新十八史略4』、P177</ref>。
 
== 脚注 ==