「高階石河」の版間の差分

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少納言としての評判の追記、出自
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'''高階 石河'''(たかしな の いしかわ)は[[平安時代]]初期の[[貴族]]。[[従四位|従四位下]]・[[高階浄階]]の子。名は'''石川'''とも表記される。[[カバネ|姓]]は[[真人]]。[[左大臣]]・[[長屋王]]の子である[[安宿王]]の後裔。[[従四位|従四位下]]・[[高階浄階]]の子
 
== 経歴 ==
[[弘仁]]13年([[822年]])[[宮内省|宮内少丞]]に任ぜられ、程なく大丞に昇る。
 
弘仁14年([[823年]])に[[正六位|正六位上]]から[[従五位|従五位下]]に[[叙爵]]。[[兵部省|兵部少輔]]に遷り、その後さらに[[少納言]]に遷る。声音が優れているとして父・浄階と相次いで少納言に任ぜられたが、当時の評判では石河の[[天長称唯]]年間([[824年天皇]]-に召された[[834年官人]]が口を覆って「おお」と応答することの声が細やかでかつ高く、父より勝っていたという。[[淳和天皇|淳和]]朝末に[[常陸国#国司|常陸介]]や[[出雲国#国司|出雲守]]を務めたという。[[承和 (日本)|承和]]2年([[835年]])従五位上に陞叙。承和8年([[841年]])には[[正五位|正五位下]]に叙され、承和9年([[842年]])さらに[[従四位|従四位下]]・[[中務省|中務大輔]]に叙続けて兼される。同年5月29日に59歳で[[崩御#卒去|卒去]]した。
 
[[承和 (日本)|承和]]2年([[835年]])従五位上に陞叙。承和8年([[841年]])には[[正五位|正五位下]]に叙され、承和9年([[842年]])さらに[[従四位|従四位下]]・[[中務省|中務大輔]]に叙任される。同年5月29日に[[崩御#卒去|卒去]]。[[享年]]59。最終[[官位]]は中務大輔従四位下。
 
== 官歴 ==
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[[Category:高階氏|いしかわ]]
[[Category:奈良時代の人物]]
[[Category:平安時代の人物]]
[[Category:784年生]]