「アン・オブ・クレーヴズ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
→‎備考: きちんと出典を示すこと
40行目:
== 備考 ==
* 渡辺みどり「英国王室物語」では、6人の王妃の中で最も幸せな生涯を送った人物としている。彼女はヘンリー8世から離縁された後もイングランドの王族として扱われ、金銭的にも不自由せず、この時代の貴族の義務である政略結婚を再び行うことなく、好きなことをして余生を送れた、というのが理由である。他に、ヘンリー8世の王妃の中で一番後まで生きていたという点もこれに加えることができる。
* ダイクストラ好子「王妃の闘い」では、アンは実は美人だったが、最初に会った際の経緯からヘンリー8世が、アンと会うたびに自分が年を取ったことを思い出すので離婚したとしている。{{独自研究範囲|date=2013年2月|実際、ホルバイン以外の画家が描いた複数のアンの肖像画を見ても、ホルバインの描いたアンの肖像画とあまり違いはないようである。}}
* {{要出典範囲|date=2013年2月|また、政治状況が変わったためクレーフェ公の援助を必要としなくなったことから結婚に消極的になった、という理由が多くの歴史書で挙げられている。}}
* デイヴィッド・スターキー(David Starkey)の ''"Six Wives"'' ではクレーフェ公との書簡を元に、[[キャサリン・ハワード]]の処刑後、アンがもう一度王妃に戻りたがっていたことが記されている。
* 石井美樹子「エリザベス 華麗なる孤独」の後書きによると、エリザベス1世について執筆中、[[ケンブリッジ大学]]図書館で見つけた書類の中に、ヘンリー8世の侍医がアンとの新婚初夜の翌朝「いかがでしたか」と聞くと[[ラテン語]]で「臭くて眠れなかった」とヘンリーが答えたと書いてあった。