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[[Imageファイル:Eniac.jpg|250px|thumb|プログラミングされるENIAC]]
[[ファイル:Two women operating ENIAC.gif|thumb|250px|thumb|2人のプログラマがENIACの制御パネルを操作しているところ]]
'''ENIAC'''(エニアック、'''E'''lectronic '''N'''umerical '''I'''ntegrator '''a'''nd '''C'''omputer、「電子式数値積分・計算機」の意)は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で開発された最初期の[[電子計算機]]([[コンピュータ]])。
'''ENIAC'''(エニアック、'''E'''lectronic '''N'''umerical '''I'''ntegrator '''a'''nd '''C'''omputer<ref>「電子式数値積分・計算機」の意</ref>)<ref>{{Harvnb|Goldstine|1972}}</ref><ref name=ENIACstory>{{Cite web |url= http://ftp.arl.mil/~mike/comphist/eniac-story.html |title=The ENIAC Story |publisher=Ftp.arl.mil |date= |accessdate=2008-09-22}}</ref>は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で開発された最初期の[[電子計算機]]([[コンピュータ]])。[[チューリング完全]]でデジタル式であり、プログラムを組み換えることで広範囲の計算問題を解くことができた<ref>Shurkin, Joel, ''Engines of the Mind: The Evolution of the Computer from Mainframes to Microprocessors'', 1996, ISBN 0-393-31471-5</ref>。
 
ENIACは[[アメリカ陸軍]]の弾道研究室での砲撃[[射表]]の計算向けに設計された<ref>ENIACが使われた最初の計算は、[[マンハッタン計画]]についてのものだった。 {{Cite web| last = Moye | first = William T| title = ENIAC: The Army-Sponsored Revolution | date = January 1996 | publisher = US Army Research Laboratory | url= http://ftp.arl.mil/~mike/comphist/96summary/index.html | accessdate = 2009-07-09}}</ref><ref>{{Harvnb|Goldstine|1972|p=214}}</ref>。1946年に発表されたとき、報道では「巨大頭脳」(Giant Brain) と称された<ref>なお、新技術に "Brain" という比喩を使うのは、戦時中から見られる。例えば、[[ライフ (雑誌)|ライフ]]誌1937年8月16日の p.45 に ''Overseas Air Lines Rely on Magic Brain'' (RCA Radiocompass)、1942年3月9日の p.55 に ''the Magic Brain - is a development of RCA engineers'' (RCA Victrola)、1942年12月14日の p.8 に ''Blanket with a Brain does the rest!'' (GE Automatic Blanket)、1943年11月8日の p.8 に ''Mechanical brain sights gun'' (How to boss a BOFORS!) といった記事がある。</ref>。当時の電気機械式計算機に比べて千倍の計算速度だった。その演算能力と汎用プログラム能力に科学者や実業家は興奮した。
ENIACは、しばしば世界初のコンピュータとされるが、厳密には議論がある(後述の[[#世界最初のコンピュータ|世界最初のコンピュータ]]を参照)。[[1946年]][[2月14日]]に[[ペンシルベニア大学]]で初めて公開され、[[1955年]][[10月2日]]まで使用され、その後、解体された。現在、その一部が[[スミソニアン博物館]]の[[国立アメリカ歴史博物館|アメリカ歴史博物館]]や[[ペンシルベニア大学]]に分散して保管されている。
 
[[第二次世界大戦]]中、ENIACの設計と製作の資金はアメリカ陸軍が支出した。その契約は1943年6月5日に結ばれ、[[ペンシルベニア大学]]電気工学科にて "Project PX" の名で秘密裏に設計が開始された。1946年2月14日の夕方に完成したマシンが公開され<ref>{{Cite web| last = Kennedy, Jr. | first = T. R.| title = Electronic Computer Flashes Answers | date = February 15, 1946 | publisher = New York Times | url= http://www.fi.edu/learn/case-files/eckertmauchly/design.html | accessdate = 2011-01-31}}</ref>、翌日にはペンシルベニア大学で正式に使用が開始された<ref>{{Cite court| litigants=Honeywell, Inc. v. Sperry Rand Corp. |vol=180 | reporter=U.S.P.Q. (BNA) | opinion=673 |pinpoint=p. 20, finding 1.1.3 |court=U.S. District Court for the District of Minnesota, Fourth Division |date=1973 | url= http://www.ushistory.org/more/eniac/public.htm |quote=The ENIAC machine which embodied 'the invention' claimed by the ENIAC patent was in public use and non-experimental use for the following purposes, and at times prior to the critical date: ... Formal dedication use February 15, 1946 ...}}</ref>。開発にかかった総額は50万ドル弱だった。アメリカ陸軍に正式に引き渡されたのは1946年7月のことである。1946年11月9日、改造と記憶装置のアップグレードのためにシャットダウンされ、1947年には[[メリーランド州]]の[[アバディーン性能試験場]]に移送された。そこで1947年7月29日に電源を入れ、1955年10月2日の午後11時45分まで運用された<ref name=ENIACstory/>。
 
ENIACを考案・設計したのはペンシルベニア大学の[[ジョン・モークリー]]と[[ジョン・エッカート]]である<ref name=Wilkes>{{Cite book| last = Wilkes | first = M. V. | authorlink = モーリス・ウィルクス | title = Automatic Digital Computers | publisher = John Wiley & Sons | year = 1956 | location = New York | pages = 305 pages | id = QA76.W5 1956 }}</ref>。設計開発に加わった技術者としては、Robert F. Shaw(ファンクションテーブル)、[[:en:Jeffrey Chuan Chu|Jeffrey Chuan Chu]](除算器/平方根計算器)、[[アーサー・バークス]](乗算器)、{{仮リンク|ハリー・ハスキー|en|Harry Huskey}}(入出力)、Jack Davis(アキュムレータ)らがいる。1987年、ENIACは[[IEEEマイルストーン]]に選ばれた<ref>{{Cite web |url= http://www.ieeeghn.org/wiki/index.php/Milestones:Electronic_Numerical_Integrator_and_Computer,_1946 |title=Milestones:Electronic Numerical Integrator and Computer, 1946 |work=IEEE Global History Network |publisher=IEEE |accessdate=2011-08-03}}</ref>。
 
== 概要 ==
[[ファイル:ENIAC tubes.jpg|thumb|ホルダーに装着されたENIACの真空管]]
ENIACは17468本の[[真空管]]、70000個の[[抵抗器]]、10000個の[[コンデンサ]]等で構成されていた。幅24m、高さ2.5m、奥行き0.9m、総重量30トンと大掛かりな装置で、設置には倉庫1個分のスペースを要した。消費電力は150kW。開発費の総額は49万[[USドル|ドル]]。
ENIACはモジュラー構造で、個々のパネルがそれぞれ異なる機能を担っている。そのうち20のモジュールはアキュムレータと呼ばれ、[[十進法]]で10桁の数値を記憶し、加減算しかできない。数値はそれらモジュール間を結ぶいくつかの汎用バスを通して渡される。高速性を実現するため、数値の転送も計算も結果の格納も次の操作へのトリガも全て可動部品を使わずに行われる。その汎用性の鍵となったのは分岐する能力で、計算結果の符号によって次の操作を選択できるようになっていた。
 
ENIACは17,468本の[[真空管]]、7,200個の[[ダイオード]]、1,500個の[[継電器|リレー]]、70,000個の[[抵抗器]]、10,000個の[[コンデンサ]]等で構成されていた。人手で[[はんだ]]付けされた箇所は約500万に及ぶ。幅30m、高さ2.4m、奥行き0.9m、総重量27トンと大掛かりな装置で、設置には倉庫1個分のスペース(167m<sup>2</sup>)を要した。消費電力は150[[ワット|kW]]<ref>http://encyclopedia2.thefreedictionary.com/ENIAC</ref><ref name=BRLreport>{{Cite web |author=Weik, Martin H. |url= http://ed-thelen.org/comp-hist/BRL-e-h.html |title=Ballistic Research Laboratories Report №&nbsp;971&nbsp;— A Survey of Domestic Electronic Digital Computing Systems&nbsp;— page 41|publisher=US Department of Commerce |date=December 1955 |accessdate=2009-04-16}}</ref>。そのため、ENIACの電源を入れるとフィラデルフィア中の明かりが一瞬暗くなったという噂が生まれた<ref>{{Cite book |last=Farrington |first=Gregory |title=ENIAC: Birth of the Information Age |url= http://books.google.com/books?id=-TKv7UHgoTQC&pg=PA74&dq=ENIAC&hl=en&sa=X&ei=tUTqTuDgJeSZiQKZy4GwBA&ved=0CDgQ6AEwAA#v=onepage&q=ENIAC&f=false |publisher=Popular Science |accessdate=2011-12-15}}</ref>。入出力には[[IBM]]の[[パンチカード]](読み取り装置とパンチ)を使用可能だった。出力されたパンチカードをIBMの[[タビュレーティングマシン]](IBM 405 など)に読み込ませて印字することができる。
現在のコンピュータは[[二進記数法|二進法]]で計算を行うものがほとんどだが、ENIACは内部構造に[[十進記数法|十進法]]を採用した。符号付き10桁の演算が可能で、毎秒5000回の[[加算]]、14回の[[乗算]]が行えた。20個の[[変数]]と300個の[[定数]]を記憶する[[記憶装置|メモリ]]をもち、[[フロッピーディスク]]などの[[外部記憶装置]]は備えていなかった。
 
現在のコンピュータは[[二進記数法|二進法]]で計算を行うものがほとんどだが、ENIACは内部構造に[[十進記数法|十進法]]を採用した。1桁の十進数を格納するのに、10ビットの{{仮リンク|リングカウンタ|en|ring counter}}を使用しており、1桁の記憶に36本の真空管を必要とする。そのうち10本は双三極管で、[[フリップフロップ]]でリングカウンタを構成している。演算は、リングカウンタが入力パルスをカウントする形で行われ(リングカウンタのビット列は二進数を表しているのではなく、"1"の個数がその桁の値である)、あふれるとキャリーパルスを発生する。これは[[機械式計算機]]で数を表す歯車を電子的にエミュレートしたものである。全部で20の10桁の[[アキュムレータ (コンピュータ)|アキュムレータ]]があり、10の[[補数]]表現で負の値を表し、毎秒5,000回の加減算を行える。複数のアキュムレータを接続して同時並行的に動作させることができるので、最高性能はさらに高い。
また、[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]は[[パッチパネル]]で人が配線をすることにより行われた。これは現在のコンピュータの仕組みとは異なる部分である(別項 [[プログラム内蔵方式]]参照)。
 
1つのアキュムレータのキャリーをもう1つのアキュムレータへの入力とし、全体で20桁の演算となるよう構成することもできるが、回路のタイミングの関係で3つ以上のアキュムレータをキャリーで接続することはできない(30桁などは不可能)。アキュムレータのうち4台は「乗算器」の制御下にあり、毎秒385回の乗算が可能である。また5台のアキュムレータは「除算器/平方根計算器」の制御下にあり、毎秒40回の除算または毎秒3回の[[平方根]]計算が可能である。
ENIACの開発は約2年間におよび、開発の中心は[[ジョン・エッカート]]と[[ジョン・モークリー]]であった。ENIACは当初、[[アメリカ陸軍]]の[[大砲]]の[[弾道学|弾道計算]]を目的につくられた。ENIACが完成する前に[[第二次世界大戦]]が終結したため当初の目的は達成できなかったが、その後も開発は続けられた。
 
[[ファイル:Classic shot of the ENIAC.jpg|thumb|250px|ENIACのファンクションテーブルを操作している様子。この写真は詳細を分からなくするため、意図的に暗くしたものである。<ref>もとの写真は次の雑誌記事にある。{{Cite journal|last1= Rose |first1= Allen |title= Lightning Strikes Mathematics |journal= Popular Science |pages= 83–86 |date= April 1946 |url= http://books.google.com/books?id=niEDAAAAMBAJ&pg=PA83&dq=eniac+intitle:popular+intitle:science&hl=en&sa=X&ei=MnWLT_OVEuKciALYz5HzCw&ved=0CDsQ6AEwAA#v=onepage&q=eniac%20intitle%3Apopular%20intitle%3Ascience&f=false |accessdate= 2012-04-15}}</ref>]]
ENIACは、真空管が週に2 - 3本壊れる程度で、稼働率が90%以上だったとされる。これは、真空管のフィラメントを定格の10%未満という低い電圧で動作させ、加熱と冷却でフィラメントが膨張と収縮を繰り返さないよう電源は落とさない等、多くの工夫を行ったためである。陸軍の[[アバディーン性能試験場]]に移設後、毎日電源を落とすようにしたところ、稼働率は50%にまで下がったと言われる。
 
他に、始動ユニット(処理の始動・停止を行う)、サイクリングユニット(クロックパルスを他のユニットに供給)、マスタープログラマ(ループ回数を制御するユニット)、リーダー(IBM製パンチカード読取装置の制御)、プリンター(IBM製カードパンチ機の制御)、定数転送ユニット、ファンクションテーブルといったユニットで構成されている。
== 世界最初のコンピュータ ==
上記の通り、ENIACは「世界最初のコンピュータ」と見なされている。しかし、[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]を[[ソフトウェア]]ではなくスイッチの切り替えなどで与えるなど、プログラムの格納方法において現在のコンピュータの仕組みとは異なっている部分もあり、コンピュータの定義によっては必ずしも「現代のコンピュータの先祖」とは言えない面もある。[[チューリング完全]]なコンピュータとしては[[コンラート・ツーゼ|ツーゼ]]による「[[Zuse Z3|Z3]]」が先行する(ただしZ3はチューリング完全たるべくして設計されたものではなく、1998年に確認された理論的証明による)。
 
Rojas and Hashagen またはウィルクス<ref name=Wilkes />は、より詳細に内部の動きを説明しており、それは上述のものとは若干異なる。基本マシンサイクルは200マイクロ秒(サイクリングユニットの100kHzのクロックパルスの20サイクルに相当)で、10桁の数値を毎秒5,000回操作できる。その1サイクルで数値をレジスタに書き込んだり、レジスタから数値を読み出したり、2つの数値の加減算を行ったりできる。10桁の数値と ''d'' 桁の数値(''d'' の最大値は10)の乗算には ''d''+4 サイクルを必要とするので、10桁の数値同士の乗算は14サイクル(2800マイクロ秒)かかり、毎秒357回ということになる。どちらか一方の数値の桁数が少なければ乗算はもっと短時間で終了する。除算と平方根計算には 13(''d''+1) サイクルかかり、この場合の ''d'' は結果(商または平方根)の桁数である。したがって最大143サイクル(28,600マイクロ秒)かかるので毎秒35回となる(ウィルクス<ref name=Wilkes />は、10桁の商を求めるのに6ミリ秒かかるとしている)。こちらも演算結果の桁数が少なければもっと短時間で完了する。
また、特定の計算を行う計算機は当時いくつか存在していた。例えば[[1939年]]に試作機が完成、稼働した「[[アタナソフ&ベリー・コンピュータ]]」が世界最初の「電子」計算機とされることがある。[[1973年]][[10月19日]]の[[ミネアポリス連邦地方裁判所]]の判決<ref>{{Cite web|date=2003-01-22|url=http://www.scl.ameslab.gov/Projects/ABC/Trial.html|title=Rebuilding the ABC|work=The Trial|publisher=Ames Laboratory|language=英語|accessdate=2012-02-15}}</ref>は、[[ジョン・アタナソフ]]とベリーが1939-1942年の間に、[[アイオワ州立大学]]において、「最初の電子式デジタルコンピュータ(the first electronic digital computer)」を作ったと明確に述べている。
 
=== 信頼性 ===
このためENIACは現在「世界最初のコンピュータ」ではなく、「'''世界最初の汎用コンピュータ'''(the first general-purpose electronic computer)」と呼ばれる<ref>[[:en:ENIAC|英語版ENIAC]]を参照。</ref>ことが多い。しかし、いずれにせよENIACが、コンピュータの黎明期において歴史的に重要な役割を果たしたものの1つであることに変わりはない。
ENIACでは当時一般的だった8ピンソケットの[[真空管]]を使っている。アキュムレータの[[フリップフロップ]]には双三極管 [[:en:6SN7|6SN7]] が使われ、他の論理回路には 6L7、6SJ7、6AC7 が使われている。モジュール間を結ぶケーブル上でのパルスを駆動するのに [[:en:6L6|6L6]] と [[:en:6V6|6V6]] が使われている。
<!--
 
また、ENIACが世界最初のコンピュータといわれた言われた理由には、ABCは部分的に未完成であったため、ENIACは第二次世界大戦中軍事目的で開発が進められたため機密下にあり、一般的に知られることがなかった。ENIACは弾道計算という軍事目的で開発されたが、完成したときには戦争が終わっていたため、1946年に機密解除された。このような事情から、ENIACが「最初のコンピュータ」ということになったのである。 --><!-- 日本語として理解不能な文章なのでコメントアウトさせてもらいます。文意が分かる方がいましたら直してください。
[[ファイル:ENIAC Penn2.jpg|right|thumb|[[真空管]]が並ぶENIACの裏面の一部]]
-->
当初、真空管は毎日数本が壊れ、修理には毎回30分ほどかかった。特殊な高信頼真空管が使えるようになったのは1948年のことである。故障の大部分は電源の投入・切断時に起きていた。これは真空管のヒーターとカソードの加熱と冷却の際にもっともストレスがかかるためである。そこで、真空管のフィラメントを定格の10%未満という低い電圧で動作させ、加熱と冷却でフィラメントが膨張と収縮を繰り返さないよう電源は落とさない等、多くの工夫を行った。それにより真空管の故障率を2日に1本という割合にまで低減させた。エッカートは1989年のインタビューで「真空管の故障はだいたい2日に1本の割合で、修理は15分で完了した」と述べている<ref>{{Cite web |url= http://www.computerworld.com/printthis/2006/0,4814,108568,00.html |title=A lost interview with ENIAC co-inventor J. Presper Eckert|author=Alexander Randall 5th|publisher=Computer World|date=14 February 2006|accessdate=2011-04-25}}</ref>。1954年、116時間(ほぼ5日間)という連続運転記録を達成している。
 
=== プログラミング ===
ENIACのスポンサーは弾道研究室だったが、プロジェクト開始から1年後、[[ロスアラモス国立研究所]]で[[マンハッタン計画]]に従事していた著名な数学者[[ジョン・フォン・ノイマン]]がこの計算機のプロジェクトに気付いた<ref>{{Harvnb|Goldstine|1972|p=182}}</ref>。ロスアラモス研究所はENIACに深く関与するようになり、最初にENIACで計算した問題も砲撃射表ではなく水素爆弾に関するものだった<ref>{{Harvnb|Goldstine|1972|p=214}}</ref>。その計算の入出力には約100万枚のパンチカードを必要とした<ref>{{Harvnb|Goldstine|1972|p=226}}</ref>。
 
ENIACは複雑なプログラムも組むことができ、ループ、分岐、サブルーチンが可能である。プログラミングは複雑な作業で、通常1週間ほどかかった。紙上でプログラムが完成したら、次に[[パッチパネル]]でスイッチ群やケーブルの配線を変更することでプログラムをENIACに設定する必要があり、それに数日かかる。そして設定ミスがないかを検証・デバッグするのに、ENIACの「シングルステップ」動作機能を活用する。
 
1997年、ENIACのプログラミングを担当していた6人の女性が [[:en:Women in Technology International|Women in Technology International]] の殿堂入りを果たした<ref name="WITI" /><ref>{{Cite news|url= http://www.wired.com/culture/lifestyle/news/1997/05/3711 |title=Wired: Women Proto-Programmers Get Their Just Reward | date=1997-05-08}}</ref>。1946年当時の呼び名で言えば、[[:en:Kathleen Antonelli|Kay McNulty]]、[[:en:Jean Bartik|Betty Jennings]]、[[:en:Betty Holberton|Betty Snyder]]、[[:en:Marlyn Meltzer|Marlyn Wescof]]、[[:en:Frances Spence|Fran Bilas]]、[[:en:Ruth Teitelbaum|Ruth Lichterman]] の6人である<ref>{{Cite web|url= http://eniacprogrammers.org/ |title=ENIAC Programmers Project |publisher=Eniacprogrammers.org |accessdate=2010-01-27}}</ref><ref>{{Cite web|url= http://abcnews.go.com/Technology/story?id=3951187&page=1 |title= ABC News: First Computer Programmers Inspire Documentary |accessdate=2013-02-22}}</ref>。[[:en:Jennifer S. Light|Jennifer S. Light]] のエッセイ "When Computers Were Women" では、計算機科学史で女性の果たした役割が軽視されてきたことの概略とENIACでの女性の果たした役割について書かれている<ref>Light, Jennifer S. "When Computers Were Women." Technology and Culture 40.3 (1999) 455-483</ref>。また、LeAnn Erickson による2010年のドキュメンタリー映画でもENIACのプログラマ達が果たした役割を描いている<ref>{{Cite news| last = Gumbrecht| first = Jamie | title = Rediscovering WWII's female 'computers' | date = February 2011 | publisher = CNN | url= http://edition.cnn.com/2011/TECH/innovation/02/08/women.rosies.math/# | accessdate = 2011-02-15}}</ref>。
 
ENIACの設計は一種独特であり、決して他では採用されなかった。1943年に設計が完了しているため、その後間もなく発展した技術革新を採り入れておらず、特に[[プログラム内蔵方式|プログラム内蔵能力]]を欠いていた。エッカートとモークリーはより単純で強力な新設計を開始し、それが後に[[EDVAC]]と呼ばれるようになる。1944年、エッカートはデータとプログラムの両方を格納する記憶装置([[遅延記憶装置|水銀遅延線]])を説明する文書を書いた。ペンシルベニア大学ムーアスクール(工学部)のコンサルタントだったジョン・フォン・ノイマンは、[[プログラム内蔵方式]]が議論され構築されたミーティングに参加している。フォン・ノイマンは、そのミーティングでの議論をまとめ、形式的な論理言語で表現した不完全な内部文書 ([[:en:First Draft of a Report on the EDVAC|First Draft of a Report on the EDVAC]]) を書き上げた。ENIACの管理責任者だった{{仮リンク|ハーマン・ゴールドスタイン|en|Herman Goldstine}}はこの ''First Draft'' のコピーをいくつかの政府機関や教育機関に配布した。それにより各地で新世代の電子計算機を構築することへの関心が高まり、イギリスのケンブリッジ大学の[[EDSAC]]や[[アメリカ国立標準技術研究所|アメリカ国立標準局]]の[[SEAC]]などが生まれることになる。
 
1948年以降、ENIACにもいくつかの改良が施され、例えば簡単なリードオンリーのプログラム格納機構が加えられた<ref>{{Cite web|url= http://ftp.arl.mil/~mike/comphist/48eniac-coding/ |title=A Logical Coding System Applied to the ENIAC |publisher=Ftp.arl.mil |date=1948-09-29 |accessdate=2010-01-27}}</ref>。これは本来[[数表]]を設定するファンクションテーブルをプログラムを格納する[[Read Only Memory|ROM]]に流用したもので、ENIACの特許にも含まれているアイデアである。また、弾道研究室の Richard Clippinger も独自に提案していた。フォン・ノイマンの助力を得て Clippinger は実装すべき命令セットを考えた。Clippinger は3アドレス方式を考えていたが、フォン・ノイマンはより実装が簡単な1アドレス方式を提案。6番のアキュムレータの3桁をプログラムカウンタとして使い、15番のアキュムレータを主アキュムレータとし、8番のアキュムレータをファンクションテーブルからデータを読み込む際のアドレスポインタとして使用する。他のアキュムレータの大部分(1-5、7、9-14、17-19)はデータメモリとして使用する。ENIACでのプログラム内蔵方式のプログラミングは Betty Jennings、Clippinger、[[:en:Adele Goldstine|Adele Goldstine]](ハーマン・ゴールドスタインの妻)が行った。1948年9月16日、[[プログラム内蔵方式]]でのENIACが初公開されている。このときのプログラムはフォン・ノイマンが基本設計し Adele Goldstine がプログラミングした。この改造によってENIACの性能は6分の1となり並行計算能力も失われたが、何日もかかっていたプログラミング作業が数時間に短縮され、性能低下を考慮しても価値のある改造だった。また、計算は電子式だが入出力はパンチカードによる電気機械式であり、この性能差の影響も分析した。それによると、実際の問題は例外なく{{仮リンク|I/Oバウンド|en|I/O bound}}(入出力が性能のボトルネックとなる状態)であり、本来の並行計算能力を使わない場合でもそれは変わらなかった。プログラム内蔵方式に改造して性能が低下してもI/Oバウンド状態は変わっていない。1952年、高速シフタが追加され、シフト性能が5倍になった。1953年7月、100ワードの[[磁気コアメモリ]]が追加され、数値表現を[[3増し符号]]の[[二進化十進表現]]とした。この拡張メモリをサポートするため、新たなファンクションテーブル・セレクター、メモリアドレス・セレクター、パルス成形回路が加えられ、プログラミング機構にも3つの新命令が加えられた。
 
== 他の初期のコンピュータとの比較 ==
{{Main|計算機の歴史}}
<!--THIS ARTICLE IS ABOUT ENIAC. If you wish to add very detailed material about other computers, please consider adding it to that computer's own article or [[History of computing hardware]]. Happy editing! -->
機械式および電気式の計算機械は19世紀から登場しているが、現代的計算機の時代が始まったのは1930年代から1940年代にかけてのことである。
 
1939年から1940年にかけて、[[ベル研究所]]では[[ジョージ・スティビッツ]]が[[継電器|リレー]]計算機 Complex Number Calculator を開発し、1940年には[[ダートマス大学]]とベル研究所を電話回線で結び、遠隔からその計算機を操作してみせた<ref>http://history-computer.com/ModernComputer/Relays/Stibitz.html ''Relay computers of George Stibitz'', retrieved 2012 Dec 19
</ref>。
 
ドイツでは[[コンラート・ツーゼ]]が[[Zuse Z3|Z3]]を設計(1941年5月には稼働)。これが世界初のプログラム可能な計算機で二進数を使っていたが、リレーによる電気機械式である。さん孔テープでプログラムを供給するが、条件分岐命令がなかった。[[チューリング完全]]を意図して設計されていないが、1998年にチューリング完全であることが判明した(ただし、Z3でチューリング完全を達成するには複雑で賢いハックが必要となる)<ref>{{Cite journal|last=Rojas |first=R. |title=How to make Zuse's Z3 a universal computer |journal=IEEE Annals of the History of Computing |volume=20 |issue=3 |pages=51–54 |year=1998 |doi=10.1109/85.707574 }}</ref><ref>{{Cite web|url= http://www.zib.de/zuse/Inhalt/Kommentare/Html/0684/universal2.html |title=How to Make Zuse's Z3 a Universal Computer |first=Raúl |last=Rojas |accessdate=2013-02-22}}</ref>。1943年12月、ベルリン空襲により現物は失われた。
 
アメリカでは初の完全な電子計算機械として[[アタナソフ&ベリー・コンピュータ]] (ABC) が開発された(1941年夏に稼働)。[[真空管]]による二進演算回路を実装しているが汎用性はなく、連立一次方程式を解くことに特化している。また、記憶装置が機械的に回転するため、性能がその回転速度に制限されていた。また入力がパンチカードだったため、それによっても性能が制限されていた。制御は手動であり、プログラム能力はない。
 
イギリスでは[[トミー・フラワーズ]]が[[Colossus]]を設計し、1943年から[[暗号解読]]に使われた。Colossusはデジタル式・電子式でENIACのようにスイッチと配線でプログラムを設定するが、暗号解読専用であり汎用性はない<ref>B. Jack Copeland (editor), ''Colossus: The Secrets of Bletchley Park's Codebreaking Computers'', 2006, [[オックスフォード大学出版局|Oxford University Press]], ISBN 0-19-284055-X.</ref>。
 
[[ハワード・エイケン]]の [[Harvard Mark I]](1944年)はリレーを使った電気機械式の計算機で、さん孔テープでプログラムを供給する。様々な計算が可能だが、分岐命令がない。
 
ENIACは任意の演算を実行可能という点では Z3 や Mark I と同等だが、さん孔テープからプログラムを読み込むという点は欠けている。Colossus とはプログラムの設定方法が共通である。ENIACの利点は、チューリング完全性と電子的処理速度にある。ABCとENIACとColossusはいずれも[[真空管]]で演算回路を構成している。また、Z3やABCは二進法を採用していたが、ENIACは十進法だった。
 
1948年まで、ENIACでのプログラミングはColossusのように配線変更で行われていた。プログラムとデータを共通の記憶装置に格納するというプログラム内蔵方式はENIAC開発中に考案されたが、戦時中だったため完成が優先され、当初のENIACにそれが実装されることはなかった。また、ENIACには電子的な記憶装置が20カ所しかなく、データやプログラムの格納には小さすぎた。
 
=== 一般の認知 ===
Z3とColossusはそれぞれ独自に開発され、ABCやENIACとも無関係である。Z3は1943年のベルリン空襲で破壊された。Colossusはイギリスの戦時中の諜報活動に使われたため、1970年代までその存在は秘密にされていた。ABCは[[ジョン・アタナソフ]]がアメリカ海軍での研究開発に召集されたため、[[アイオワ州立大学]]で廃棄状態になっていた。すなわち、それらは大々的に宣伝されることもなく、一般には知られていなかったのである。一方ENIACは1946年に報道によって一般に知られるようになった<ref name="WITI">{{Cite web| last = Kleiman | first = Kathryn A. | title = WITI Hall of Fame: The ENIAC Programmers | year = 1997 | url = http://www.witi.com/center/witimuseum/halloffame/1997/eniac.php | accessdate = 2007-06-12 }}</ref>。そのため、一般にはENIACが「世界最初のコンピュータ」と見なされることが多い。
 
=== 特許 ===
ENIACに関する特許(米国特許番号3,120,606号)は1964年に発効したが、様々な理由(モークリーが1941年にABCに触れていたことなど)から1973年10月19日にミネアポリス連邦地方裁判所の判決<ref>{{Cite web|date=2003-01-22|url= http://www.scl.ameslab.gov/Projects/ABC/Trial.html|title=Rebuilding the ABC|work=The Trial|publisher=Ames Laboratory|language=英語|accessdate=2012-02-15}}</ref>で無効とされた。この判決でデジタル電子計算機の発明は[[パブリックドメイン]]とされ、法的にはアタナソフが世界初のデジタル電子計算機の発明者とされた。このためENIACは現在「世界最初のコンピュータ」ではなく、「'''世界最初の汎用コンピュータ'''(the first general-purpose electronic computer)」と呼ばれる<ref>[[:en:ENIAC|英語版ENIAC]]を参照。</ref>ことが多い。しかし、いずれにせよENIACが、コンピュータの黎明期において歴史的に重要な役割を果たしたものの1つであることに変わりはない。
 
== 部分の展示 ==
[[ファイル:ENIAC Penn1.jpg|thumb|250px|ENIACの4つのパネルとファンクションテーブル(左)。ペンシルベニア大学の展示物]]
ペンシルベニア大学工学部では、40台のパネルのうち4台と3台のファンクションテーブルのうち1台を所有している。[[スミソニアン博物館]]の[[国立アメリカ歴史博物館]]は5台のパネルを所有。ロンドンの[[サイエンス・ミュージアム]]も一部を展示している。マウンテンビューの[[コンピュータ歴史博物館]]では、3台のパネルと1つのファンクションテーブルを展示している(スミソニアンから貸与)。[[ミシガン大学]]は[[アーサー・バークス]]が保管していた4台のパネルを所有している。ENIACが使われていた[[アバディーン性能試験場]]の[[アメリカ陸軍兵器博物館]]はファンクションテーブルを1台所有している。また[[テキサス州]][[プラーノ]]の Perot Group には7台のパネルがあり、ENIACの歴史や仕組みについての詳細な展示がある。
 
ニューヨーク州ウェストポイントの[[陸軍士官学校 (アメリカ合衆国)|陸軍士官学校]]にはENIACで使われていたデータ入力端末がある。
 
== 1チップ ENIAC ==
ペンシルベニア大学は1995年にENIACを7.44mm x 5.29mmのシリコン基板上にトランジスタを0.5umのCMOS技術で174,569個形成する事により再現した<ref>{{Cite web |author=Jan Van der Spiegel |date=2007-08-06 |url= http://www.upenn.edu/computing/printout/archive/v12/4/chip.html |title=ENIAC-on-a-Chip |publisher=University of Pennsylvania |language=英語 |accessdate=2012-08-20}}</ref><ref name="ENIAC-on-a-Chip">{{Cite web |url= http://www.seas.upenn.edu/~jan/eniacproj.html |title=ENIAC-on-a-Chip |accessdate=2009-09-04 |publisher=University of Pennsylvania |date=1995-05-09 |author=Jan Van Der Spiegel}}</ref>。
 
== 脚注 ==
{{Reflist|colwidth=30em}}
 
== 参考文献 ==
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* [[アーサー・バークス|Burks, Arthur W.]] and Alice R. Burks, ''The ENIAC: The First General-Purpose Electronic Computer'' (in ''Annals of the History of Computing'', Vol. 3 (No. 4), 1981, pp.&nbsp;310–389; commentary pp.&nbsp;389–399)
*{{Cite book|first=Charles|last=Eames|authorlink=チャールズ・イームズ|coauthors=[[レイ・イームズ|Eames, Ray]]|date=1990-09-01|title=A Computer Perspective: Background to the Computer Age|edition=New|publisher=Harvard University Press|isbn=0-674-15626-9|ref=Charles&Ray.Eames1990}}
*[[ジョン・エッカート|Eckert, J. Presper]], ''The ENIAC'' (in Nicholas Metropolis, J. Howlett, Gian-Carlo Rota, (editors), ''A History of Computing in the Twentieth Century'', Academic Press, New York, 1980, pp.&nbsp;525–540)
**{{Cite book|和書|author=チャールズ・イームズ|authorlink=チャールズ・イームズ|coauthors=[[レイ・イームズ]]|others=[[和田英一]]監訳、[[山本敦子]]翻訳|date=2011-08-09|title=コンピュータ・パースペクティブ 計算機創造の軌跡|series=ちくま学芸文庫|publisher=筑摩書房|isbn=978-4-480-09384-4|url=http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480093844/|ref=チャールズ&レイ・イームズ2011}}
*Eckert, J. Presper and [[ジョン・モークリー|John Mauchly]], 1946, ''Outline of plans for development of electronic computers'', 6 pages. (The founding document in the electronic computer industry.)
*Mike Hally, ''Electronic Brains: Stories from the Dawn of the Computer Age'', [[Joseph Henry]] Press, 2005. ISBN 0-309-09630-8
* Fritz, Barkley, ''The Women of ENIAC'' (in ''IEEE Annals of the History of Computing'', Vol. 18, 1996, pp.&nbsp;13–28)
* Scott McCartney, ''ENIAC: The Triumphs and Tragedies of the World's First Computer''. Walker & Co, 1999. ISBN 0-8027-1348-3.
* {{Cite book| last = Goldstine | first = Herman H. | title = The Computer: from Pascal to von Neumann | year = 1972 | publisher = Princeton University Press | location = Princeton, New Jersey | isbn = 0-691-02367-0 |ref=harv}}
**{{Cite book|和書|author=スコット・マッカートニー|authorlink=スコット・マッカートニー|others=[[日暮雅通]]訳|year=2001|month=8|title=エニアック 世界最初のコンピュータ開発秘話|publisher=パーソナルメディア|isbn=4-89362-183-1|ref=マッカートニー2001}}
* Goldstine, Herman and Adele Goldstine, ''The Electronic Numerical Integrator and Computer (ENIAC)'', 1946 (reprinted in ''The Origins of Digital Computers: Selected Papers'', Springer-Verlag, New York, 1982, pp.&nbsp;359–373)
*Mauchly, John, ''The ENIAC'' (in Metropolis, Nicholas, J. Howlett, Gian-Carlo Rota, 1980, ''A History of Computing in the Twentieth Century'', Academic Press, New York, ISBN 0-12-491650-3, pp.&nbsp;541–550, "Original versions of these papers were presented at the International Research Conference on the History of Computing, held at the [[ロスアラモス国立研究所|Los Alamos Scientific Laboratory]], 10–15 June 1976.")
*Rojas, Raúl and Ulf Hashagen, editors, ''The First Computers: History and Architectures'', 2000, MIT Press, ISBN 0-262-18197-5.
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== 関連文献 ==
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* {{Cite book |first=Charles |last=Eames |authorlink=チャールズ・イームズ |coauthors=[[レイ・イームズ|Eames, Ray]] |date=1990-09-01 |title=A Computer Perspective: Background to the Computer Age |edition=New |publisher=Harvard University Press |isbn=0-674-15626-9 |ref=Charles&Ray.Eames1990}}
** {{Cite book|和書|author=チャールズ・イームズ |authorlink=チャールズ・イームズ |coauthors=[[レイ・イームズ]] |others=[[和田英一]]監訳、[[山本敦子]]翻訳 |date=2011-08-09 |title=コンピュータ・パースペクティブ 計算機創造の軌跡 |series=ちくま学芸文庫 |publisher=筑摩書房|isbn=978-4-480-09384-4 |url= http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480093844/ |ref=チャールズ&レイ・イームズ2011}}
*{{Cite book|first=Clark R.|last=Mollenhoff|authorlink=クラーク・R・モレンホフ|date=1988-04-30|title=Atanasoff: Forgotten Father of the Computer|publisher=Iowa State Univerity Press|isbn=0-8138-0032-3|ref=Mollenhoff1988}}
**{{Cite book|和書|author=クラーク・R・モレンホフ|authorlink=クラーク・R・モレンホフ|others=[[最相力]]・[[松本泰男]]共訳|year=1994|month=8|title=ENIAC神話の崩れた日|publisher=工業調査会|isbn=4-7693-5088-0|ref=モレンホフ1994}}
* Berkeley, Edmund C. Berkeley, ''GIANT BRAINS or machines that think''. John Wiley & sonsSons, inc., 1949. Chapter 7 ''Speed—5000 Additions a Second: Moore School's ENIAC (Electronic Numerical Integrator And Computer)''
*{{Cite book| last = Dyson | first = George | authorlink = George Dyson | title = Turing's Cathedral: The Origins of the Digital Universe | year = 2012 | publisher = Pantheon Books | location = New York | isbn = 978-0-375-42277-5 }}
*C.B. Tompkins and J.H Wakelin, ''High-Speed Computing Devices'', McGraw-Hill, 1950.
*Hally, Mike. ''Electronic Brains: Stories from the Dawn of the Computer Age'', [[ジョセフ・ヘンリー|Joseph Henry]] Press, 2005. ISBN 0-309-09630-8
*{{cite book | first = Nancy | last = Stern | title = From ENIAC to UNIVAC: An Appraisal of the Eckert-Mauchly Computers | publisher = Digital Press | date = 1981 | id = ISBN 0-932376-14-2 }}
*{{citeCite book | last = Lukoff | first = Herman | authorlink = Herman Lukoff | title = From Dits to Bits: A personal history of the electronic computer | year = 1979 | publisher = Robotics Press | location = Portland, Oregon | idisbn = ISBN 0-89661-002-0 }}
*McCartney, Scott. ''ENIAC: The Triumphs and Tragedies of the World's First Computer''. Walker & Co, 1999. ISBN 0-8027-1348-3.
**{{Cite book|和書|author=スコット・マッカートニー|authorlink=スコット・マッカートニー|others=[[日暮雅通]]訳|year=2001|month=8|title=エニアック 世界最初のコンピュータ開発秘話|publisher=パーソナルメディア|isbn=4-89362-183-1|ref=マッカートニー2001}}
*Tompkins, C.B. and J.H Wakelin, ''High-Speed Computing Devices'', McGraw-Hill, 1950.
*{{Cite book| first = Nancy | last = Stern | title = From ENIAC to UNIVAC: An Appraisal of the Eckert-Mauchly Computers | publisher = Digital Press | year = 1981 | isbn = 0-932376-14-2 }}
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BALLS.
 
== 関連項目 ==
* [[計算機の歴史]]
* [[コンピュータ・アーキテクチャ]]
* [[情報処理]]
* [[真空管式コンピュータ一覧]]
 
== 外部リンク ==
{{CommonsCommonscat|ENIAC}}
*[http://japan.cnet.com/video/story/0,2000056064,20096371,00.htm 「これがENIACだ」--お宝映像を公開:ビデオアーカイブ - CNET Japan](ENIAC 初公開時の記録映像)
* [http://ftp.arl.army.mil/~mike/comphist/ Mike Muuss: Collected ENIAC documents]
* [http://ftp.arl.mil/~mike/comphist/61ordnance/chap2.html ENIAC] chapter in Karl Kempf, ''Electronic Computers Within The Ordnance Corps'', November 1961
60 ⟶ 121行目:
* [http://www.seas.upenn.edu/~museum/index.html ENIAC museum] at the University of Pennsylvania
* [http://www.wired.com/news/culture/0,1284,3711,00.html The women of ENIAC]
* [http://news.comcnet.com/2009-1006_3-6037980.html ''ENIAC—monsterA andComputer marvel''Is Born], Michael Kanellos, 60th anniversary news story, ''CNet'', February 13, 2006
* [http://americanhistory.si.edu/collections/comphist/eckert.htm Interview with Eckert] Transcript of a video interview with Eckert by David Allison for the National Museum of American History, Smithsonian Institution on February 2, 1988. An in-depth, technical discussion on the ENIAC, including the thought process behind the design.
* [http://www.computerworld.com/hardwaretopics/hardware/story/0,10801,108568,00.html Q&A: A lost interview with ENIAC co-inventor J. Presper Eckert ]
* [http://ed-thelen.org/comp-hist/BRL-e-h.html#ENIAC ENIAC specifications] from Ballistic Research Laboratories Report No. 971 December 1955, (A Survey of Domestic Electronic Digital Computing Systems)
*{{US patent|3120606}} issued in 1964 for ENIAC ([[TIFF]] images), also [http://www.fh-jena.de/~kleine/history/machines/EckertMauchly-ENIAC-us-patent-3120606.pdf PDF version] (18,305 kB, 207 pages)
* [http://www4.wittenberg.edu/academics/mathcomp/bjsdir/ENIACSquareRoot.htm How the ENIAC took a Square Root]
* [http://page.mi.fu-berlin.de/~zoppke/eniac/ ENIAC simulator]
* [http://www.myhpi.de/~schapran/eniac/modulo/ Programming example for the modulo function by Matthieu-P. Schapranow based on the simulation of Till Zoppke (en)]
* [http://www.ee.upenn.edu/~jan/eniacproj.html ENIAC-on-a-Chip]
* [http://www.columbia.edu/acis/history/eniac.html Programming the ENIAC]
* [http://www.zib.de/zuse/Inhalt/Programme/eniac/ ENIAC simulation]
* [http://purl.umn.edu/107275 Oral history interview with J. Presper Eckert], [[チャールズ・バベッジ研究所|Charles Babbage Institute]], University of Minnesota.
* [http://purl.umn.edu/107216 Oral history interview with Carl Chambers], [[チャールズ・バベッジ研究所|Charles Babbage Institute]], University of Minnesota.
* [http://purl.umn.edu/107688 Oral history interview with Irven A. Travis], [[チャールズ・バベッジ研究所|Charles Babbage Institute]], University of Minnesota.
* [http://purl.umn.edu/107704 Oral history interview with S. Reid Warren], [[チャールズ・バベッジ研究所|Charles Babbage Institute]], University of Minnesota.
* [http://eniacprogrammers.org/index.shtml ENIAC Programmers Project]
* {{Cite news| last = Gumbrecht | first = Jamie | title = Rediscovering WWII's 'computers' | publisher = CNN.com | date = 8 February 2011 | url = http://www.cnn.com/2011/TECH/innovation/02/08/women.rosies.math/index.html?hpt=C2 | accessdate = 9 February 2011}}
{{Coord|39.9522|-75.1905|display=title}}
 
{{DEFAULTSORT:ENIAC}}