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==来歴・人物==
*ペンネームは'''丸山健二'''(まるやま けんじ、[[芥川龍之介賞|芥川賞]][[作家]]の[[丸山健二]]と同姓同名になったのは偶然)。タツノコプロ創業経営者一族の「吉田三兄弟」の次男で、兄は漫画家・アニメ原作者・タツノコプロ初代社長の[[吉田竜夫]]、弟は漫画家・アニメプロデューサー・タツノコプロ第3代社長の[[九里一平]]。タツノコプロ作品などのデザイナー・イラストレーターの[[吉田すずか]]と、アニメ制作会社[[プロダクション・アイジー|Production I.G]]役員でアニメのカラーデザイナー、アニメ制作者だった石川みちるは姪にあたる。
*16歳頃から、京都ですでに挿絵画家として活動を始めていた兄・竜夫の仕事を手伝い始める。その後漫画家となり上京した竜夫の後を追い、23歳の時に弟の吉田豊治(九里一平)とともに上京。竜夫や九里一平のマネージャーを務めながら、丸山健二のペンネームを用いて[[貸本漫画]]の表紙絵を描いたり、タツノコプロの漫画作品の原作を手がけた。タツノコプロがアニメ制作に乗り出した後は自らの創作はやめ、プロデューサー・企画などの重責を担うとともに、タツノコプロの経済的な面での経営の一切を切り盛りした。『[[ハクション大魔王]]』『[[アニメンタリー 決断]]』『[[新造人間キャシャーン]]』など、多くのタツノコプロ制作アニメでプロデューサーを務めた。また、脚本も執筆し、丸山健二のペンネームはその際にも用いた。
*竜夫の死後、後を継いで就任したタツノコプロ社長在任中の10年間は、ほとんどのタツノコアニメで制作(製作)者として指揮を執った。独自のプロダクションを設立しタツノコを離れていた時代には、テレビアニメ『[[横山光輝 三国志]]』([[1991年]]、[[テレビ東京]]系)の制作に携わった。その後タツノコに復帰後の会長在任中には『[[マッハGoGoGo]]』のリメイク版([[1997年]])の[[エグゼクティブプロデューサー]]などを務めた。