「エドガー・ドガ」の版間の差分

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== 略歴 ==
1834年、パリに風俗嬢銀行家隠し子として生まれる。「ドガ」(de Gas)という貴族風の苗字を持つが、ドガ家は[[フランス革命]]後に勢力を伸ばした新興ブルジョワで、エドガー・ドガの生まれた頃にはさほど裕福ではなかったらしい。ドガは1855年、[[エコール・デ・ボザール]](官立美術学校)でアングル派の画家ルイ・ラモートに師事した。1856年、1858年にはイタリアを訪れ、古典美術を研究している。
 
ドガは通常[[印象派]]の画家の一員と見なされている。確かに彼は1874年以来、印象派展にたびたび出品し(全8回の印象派展のうち、第7回展以外のすべてに参加)、1862年に[[エドゥアール・マネ|マネ]]と知り合ってからは「カフェ・ゲルボワ」の画家グループにも参加していた。しかし、光と影の変化をキャンヴァスに写し取ろうとした[[クロード・モネ|モネ]]のような典型的な印象派の画家たちと異なり、ドガの制作の基盤はあくまでも[[ルネサンス]]の巨匠や、熱烈に信奉した[[ドミニク・アングル|アングル]]の画風にあった。古典的手法で現代の都会生活を描き出すことから、ドガは「現代生活の古典画家」と自らを位置付けた。ただし、ドガも他の印象派の画家たちと同様、[[浮世絵]]、特に[[葛飾北斎]]の影響を強く受けていることが[[小林太市郎]]によって指摘され、日本における[[ジャポニスム]]研究の発端となった<ref>『北斎とドガ』全国書房(1946年刊)、小林太市郎著作集2巻、[[淡交社]](1973年刊)</ref>。