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'''少弐 貞頼'''('''しょうに さだより'''、?-[[1404年]][[7月27日]]([[応永]]11年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]]))は[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]から[[室町時代]]前期にかけての[[武将]]。北九州の名門[[少弐氏]]当主。[[少弐頼澄]]の子。法名は本恵。[[筑前国|筑前]][[守護]](のちに[[豊前国|豊前]][[守護]])
 
父の後を継いで当主となるが、あまりに幕府に対った。鎌倉以来の北九州の名門として反抗的で、しの誇り[[九州探題]]である[[渋川満頼]]の命にも従わず、て[[菊池氏]]などと同盟して反抗する姿勢を見せためので、[[1397年]]に[[征夷大将軍|将軍]]・[[足利義満]]の命を受けた[[大内義弘]]や[[大友親世]]らに攻められて一時、窮地に追い込まれた。しかし反攻[[応永の乱]]で[[大内氏]]が一時衰退したのを機転じ勢力を回復し[[豊前国|豊前]][[守護]]職を大内氏から奪い取っている。[[1404年1月]]満頼は九州探題圧倒す。同年5月までもこれと戦って勝利し勢力を回復させたが、翌6月20日その年てしまった。後を子の[[少弐満貞]]が継いだ。
 
{{先代次代|[[少弐氏|少弐氏歴代当主]]|  |[[少弐頼澄]]|[[少弐満貞]]}}
 
[[Category:少弐氏|さたより]]