「ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団」の版間の差分
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ハイティンクの後任に選ばれたのは、[[ハンガリー]]の指揮者で[[シカゴ交響楽団]]音楽監督、1972年にイギリスの市民権を得ていた[[ゲオルグ・ショルティ|サー・ゲオルク・ショルティ]]だった。ショルティは1938年、25歳の時に同郷の先輩指揮者[[アンタル・ドラティ]]の引き合わせで[[ロイヤル・オペラ・ハウス|コヴェント・ガーデン王立歌劇場]]のオーケストラ・ピットに入ったロンドン・フィルを初めて指揮して以来41年間、たびたび客演を続けていた。
レコーディングはショルティが契約していたデッカを主として行われ、エルガーの交響曲全集と
ショルティは4年間のみの在任だったが、安定した関係の中でも、演奏旅行中にショルティだけ一等席で移動するなど必ずしも楽員と和気藹々だったわけではなく、オーケストラの次のターニング・ポイントであるテンシュテットの時代へと引き継がれていく。
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