「クリオーリョ」の版間の差分

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16世紀から18世紀にかけての時代には、両者を含めた「白人」が、植民地社会では支配集団を構成していた。その支配下には黒人や[[先住民]]である[[インディアン]]、[[インディオ]]に加え、[[メスティーソ]](白人とインディアン、インディオとの[[混血]])、[[ムラート]](黒人と白人との混血)、[[サンボ]](黒人とインディアン、インディオとの混血)などの混血民が位置していた。
 
しかし、こうした[[ヒトの肌の色|肌の色]]に基づいて身分が区別される社会のありかたは次第に効力を失っていき、18世紀が進むに連れて社会経済的要因によって階層区分が生じる社会へと移行していった。すなわち、ヨーロッパ出身のスペイン人(ペニンスラール)であれ、クリオーリョであれ、資産があったり、有力者との縁戚関係がある人々は社会的に上位に位置することができる一方で、金も縁もない人々は社会的には中位・下位に位置するような社会が成立しつつあった<ref>Jaime E. Rodríguez, ''La independencia de la América española'', Colegio de México, Fondo de Cultura Económica, México, pp.33-42.</ref>。したがって、クリオーリョとペニンスラールを別個の集団と考えることも、同一の集団として一括りにすることも、18世紀になると簡単にはできなくなっていた。
 
しかし、こうした社会経済的な現実とは別の次元で、クリオーリョとペニンスラールの間にはいくつかの亀裂も存在し、それがやがて両者の対立を深めていく原因にもなった。すなわち、ペニンスラールの中には、ヨーロッパ生まれの人間こそが優位であり、アメリカ生まれの人間は体格や知性で劣る、とする素朴な感情、あるいはその感情を基盤にした疑似科学的な言説を信奉するものが少なからず存在した。そうした偏見に基づいたペニンスラールの言動は、時にはクリオーリョの感情を害し、活動の妨げになることもあったため、クリオーリョの間でペニンスラールに対する反感が醸成される一助となった。