「還元主義」の版間の差分

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==歴史==
めて考察すると、還元主義の問題は哲学の歴史と同じほどに古いともされ、古代ギリシャまで遡ることも可能だという。たとえば古代ギリシャの哲学者・自然学者らが、万物の根源([[アルケー]])について論じ、アルケーは水だ、土だ、などと論じたのもある意味での還元主義であるともいわれる。同じく古代ギリシャの[[原子論]]や[[四元素]]説なども、世界のすべてのものを「アトム」や「元素」に還元しようとするものであった<ref>『哲学・思想事典』岩波書店 p.279</ref>、とも言われる。
 
[[Image:Duck of Vaucanson.jpg|thumb|150px|[[デカルト]]は、動物は(人間とは異なり)還元的に、からくり人形(ある種の自動機械)として説明できるかも知れないと述べた。その想像図 (''De homines'' 1622年)]]
近代においては、還元主義を生むきっかけとなった考え方は、[[デカルト]]により1637年に刊行された『[[方法序説]]』の第5部において提示された。デカルトは、世界を機械に譬え、世界は時計仕掛けのようであり、部品をひとひとつ個別に研究した上で、最後に全体を大きな構図で見れば機械が理解できるように、世界も分かるだろう、という主旨のことを述べた。(ただし、デカルト自身は、正しく理解するためにはひとつたりとも要素を脱落させてはいけない、といった主旨のことも他のくだりで述べていることに注意する必要がある。)<ref>注:デカルトが提示した方法論(一連の基準のセット)それ自体は、科学的方法の古典版、知識の探求方法として、現代でもそれなりに評価されている。(これについては[[科学的方法]]も参照可能)。「還元主義」と呼ばれ問題が指摘されているのは、デカルトがワンセットで示した基準をきちんと全部守ることができず、異なったやり方に陥り、(ほとんど無意識に、無自覚的、自動的に)下位構造ばかりに意識の焦点が移っていってしまう思考形態、あるいは、言い換えを行ってそれで「事たれり」、としてしまう考え方である{{要出典|date=2009年5月}}。そしてそのような説明で説明として十分だと(半ば狂信的に)思い込んでしまい、デカルトが提示していた、より理想的なプロセスまでいつしか拒絶してしまう思考形態である{{要出典|date=2009年4月}}。</ref>
 
デカルトが「分解し、網羅的に調べ、後に統合する」という考え方であったのに、後に別の人々によってこの前半の「分解」ばかりが強調され、しかも一部の要素だけに言及してそれだけで事足れりとする者が現れ、還元主義となってゆくことになった{{要出典|date=2009年4月}}。