「フランキー・イェール」の版間の差分

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[[1920年]]5月にはトーリオと酒の密売で対立していた[[ジム・コロシモ]]を[[シカゴ]]の彼の事務所で暗殺した。警察はニューヨークで彼を殺人容疑で正式に逮捕したが、目撃者のウェイターが身の危険を感じて土壇場で記憶がないと言い証拠不十分ですぐに釈放された。[[1924年]][[11月10日]]には[[ダイオン・オバニオン]]暗殺にも参加。このときも警察に疑われたがマイク・メルロの葬儀にきたと弁解し供述を終えてニューヨークに帰った。この暗殺によってイェールは1万ドルと4カラットのダイヤの指輪を報酬として受け取った(イェールはオバニオン暗殺に関わっていないという説もある)。
 
[[1922年]]2月、[[ロワー・マンハッタン]]で行われたギャングスターの集会に出かけた夜、車を降りダンスホールへ向かう途中で背後から銃撃を受けた。銃弾が片肺を貫通する重傷だったが、一命は取りとめた。警察はライバルの[[ホワイト・ハンド]]のワイルド・"ビル"・ロベットを疑った。
 
[[1925年]]のクリスマス・パーティーのときイェールたちを襲撃しようと計画していたホワイト・ハンドのリチャード・"ペグレグ"・ロナガンたちをカポネたちと返り討ちにし殺害する。ホワイト・ハンド壊滅後は[[ニューヨーク港]]の絶対的な支配者となる。