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==歴史==
ラトガレは歴史的に[[リヴォニア]]([[テッラ・マリアナ]])の一部であったが、[[16世紀]]の[[リヴォニア戦争]]で解体された。その最中、一時的に[[スウェーデン]]領となったが、すでにリヴォニアを組み込みつつあった[[ポーランド・リトアニア共和国]]に編入され、ポーランドの統治下となった。1621年の[[スウェーデン・ポーランド戦争|スウェーデンによるリヴォニア征服]]後もポーランド支配下に残った。そのためにポーランド領リヴォニア({{lang-de|Polnisch Livland}})とも呼ばれた。ラトビアの他地域とは違い、ドイツ人支配は本質的に
ラトガレの都市人口は、数世紀にわたってユダヤ人が多数を占めてきた。例として、1897年の調査では[[レーゼクネ]]やルドザではユダヤ人人口が54%に及んだ。ラトガレ最大の都市ダウガフピルスでは、ユダヤ人は人口の46%を占めていた。ダウガフピルスにはおよそ40箇所の[[シナゴーグ]]と宗教施設があった。[[第二次世界大戦]]によってユダヤ人社会は徹底的に破壊され、現在ダウガフピルスにはシナゴーグが1つあるにすぎない。
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