「空手道」の版間の差分

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山元 (会話 | 投稿記録)
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== 日本国外への影響 ==
=== アメリカ合衆国 ===
最初にアメリカに空手を紹介したのは、戦前アメリカに移住した沖縄系移民達だったと考えられているが、公的な記録に乏しく、文献から追跡するのは難しい。著名な空手家では、屋部憲通がアメリカ本土に8年間滞在した後、[[1927年]](昭和2年)4月、帰国途中に沖縄系移民の多いハワイへ立ち寄り空手道の講習会を開いた記録が残っており<ref>[http://museum.hikari.us/news/index.html 『日布時事』1927年4月12日記事]</ref>、屋部以降も、本部朝基、陸奥瑞穂(船越門下)、東恩納亀助(本部門下)、宮城長順といった空手家たちがハワイを訪れ、空手道を教授している。
 
アメリカ本土で本格的に空手が普及し始めたのは戦後からで、沖縄や日本本土で空手を習得した米国軍人たちによって伝えられた。代表的な人物には、しばしば「アメリカ空手道の父」とも言われる[[:en:Robert Trias|ロバート・トリアス]]([[1923年]] - [[1989年]])がいる。トリアスは第二次世界大戦中、[[ソロモン諸島]]で本部朝基の弟子の中国人より空手道を習ったとされ<ref>英語版の記事ではそう記述されているが、日本側の文献では本部朝基に中国人の弟子がいたかどうか確認できていない。</ref>、[[1946年]]、[[アリゾナ州]][[フェニックス (アリゾナ州)|フェニックス]]に空手道場を開設した。
 
=== ヨーロッパ ===
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=== 韓国 ===
韓国の空手は、[[韓国併合]]中に韓国から日本へ渡った人々が韓国へ持ち帰り、1940年代中盤に「コンスドー(空手道)」または「タンスドー(唐手道)」の呼称で広まった。1950年代に入り、[[松涛館流]]空手を源流に持つグループを中心として名称統合がおこなわれ「[[テコンドー]]」に発展した。
 
== 会派・団体一覧 ==