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'''平衛之'''(への)は、[[江戸時代]][[久保田藩]][[藤琴村]]の民話・伝説上の人物である。
[[File:Mizunasinuma.JPG|thumb|平衛之が造った水無沼と菅江真澄の碑]]
'''平衛之'''(への)は、[[江戸時代]]の[[出羽国]][[藤琴村]]([[久保田藩]]領、現在の[[秋田県]][[藤里町]])の人物。大力の持ち主であったといい、同地では彼に関する民話や伝説が多く語り継がれている。
 
== 概要 ==
彼が作った沼が残されていることや、彼の妻に[[菅江真澄]]が実際に会い取材していることなどから、実在の人物であったと考えられる。力が強く十人分の働きをするので「鬼平之」とも呼ばれていた。単に「平之」とも表記される。平衛之の子孫は井川姓を名乗ったので、「井川平衛之」とも書くことがある。
 
[[菅江真澄]]は[[太良鉱山]]へ移動する際に、平衛之の妻に出合って会話をしている。平衛之の妻はそのとき90歳代で[[津軽藩]]の[[鰺ヶ沢町]]の出身であることを真澄に話している。
藤里村には彼に関する民話が数多く残されている。
 
[[菅江真澄]]は[[太良鉱山]]へ移動する際に、平衛之の妻に出合って会話をしている。平衛之の妻はそのとき90歳代で[[津軽藩]]の[[鰺ヶ沢町]]の出身であることを真澄に話している。
平衛之の子孫は井川姓を名乗り、[[八森町]]に引っ越したと言われている。
 
== 民話 ==
*[[秋田県]]藤琴村の水無の沢には水が無くて、下部の平地でも田を作ることができなかった。平衛之は水田開拓の為に水無地区に一人で大石や土を運び沼を造った。これが、現在の水無沼である。しかし、このために久保田藩の佐竹の殿様の御直山であった杉の巨木が何百本も水に沈み、枯れてしまう。平衛之は役人に引き立てられ、[[久保田城]]まで連れて行かれる。村民は平衛之がはりつけになるものだと思っていたが、平衛之は殿様に堂々と「沼を造ったことで広い田を開墾することができた。殿様の杉の木が枯れても、村人や殿様の儲けが大きくなるから、只一人で沼を造ったのです」と弁明した。平衛之はこの堂々とした弁明で、その行為を許された。村人は平衛之の偉さと、殿様の心の広さをたたえたと言われている。
 
*平衛之が金沢で働き、その後酔って帰宅する時、平衛之の娘が迎えに来た。娘の背に平衛之が乗ると、娘の手は丸くて毛が生えていた。平衛之は娘が実は化け物であるとして、背から降り道ばたの大石にぶつけて殺してしまった。家に帰ると娘がいたが、大石の近くに戻ると同じ娘がいる。どちらの娘が本物か迷っているうちに朝になり、朝日がさすと殺された娘は古タヌキの正体を現した。
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[[Category:秋田県出身の人物]]
[[Category:藤里町]]