「国鉄DD53形ディーゼル機関車」の版間の差分

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[[1965年]]に2両、[[1967年]]に1両の計3両が[[汽車製造]]で製造され、計画通り[[新潟県|新潟]]地区へ投入された。当機は本来優等列車が雁行する上越及び信越線で出来る限り列車に支障しないよう高速で除雪を行うために開発されたものだったが、当初の目的であったハイパワーが逆に仇となって本州の投入線区で数々の問題が起こった。また、そのような性能の要求がある線区が他になかった事から本格量産には至らなかった。上越新幹線開業後は補機を従えた最大出力での除雪作業の運用も少なくなり、除雪機関車の製造はロータリー式のDD14形のみが[[1979年]]まで細々と続けられた。
 
「投雪が民家の敷地に飛び込む」「電線を切断する」といったトラブルは古くは[[蒸気機関車]]推進のロータリー除雪車時代からあった問題だが(そのために、除雪列車に大工や電気技師を同乗させることもあったという)、当時の交通機関において自動車の普及率が低く道路状況が現在整備も遅れていたこは全く異なり鉄道がなければ冬期は地域が孤立する状態であったためにやむを得ないことと許容されていた。しかし、時代が変わり[[モータリゼーション]]及び道路整備の進展で鉄道の絶対的だった地が失われた事で問題が顕在化する。最高時速20km/hというロータリー除雪車としてはかつてない高速で除雪を行ったDD53形の投雪の威力が凄まじく、[[窓ガラス]]や[[瓦|屋根瓦]]を破損するばかりか、民家の室内にあった[[ピアノ]]を破壊したという、事実かどうかも疑わしい伝説を残している。
 
DD53形のロータリーヘッドの運転席は前方確認および雪のかき寄せ状況の確認を容易にするために、投雪口の前方、かき寄せ羽根車上に配置されているが、後年沿線の宅地化等により投雪の被害が頻発したため、2・3号機については投雪方向の確認を容易にするために運転席を投雪口の後方である機械室前部に移設する改造が行われた。
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1号機は未改造のまま[[旭川機関区]]へ転属したが、雪質と沿線環境の大きく異なる旭川では除雪車としての稼働率は低く、冬季においても主に[[宗谷本線]]の[[塩狩峠]]で[[補助機関車|後補機]]として使われていた。その後[[1976年]]に[[新庄運転区|新庄機関区]]へ転属となり、新潟地区と同じく豪雪地帯を抱える[[奥羽本線]]の除雪用とされたが、あまり稼動することもなく[[1986年]]に[[廃車 (鉄道)|廃車]]となった。その後、同機は[[高崎車両センター|高崎運転所]]に移され同地で保管された後[[碓氷峠鉄道文化むら]]に[[静態保存]]されている。
 
2号機と3号機は、[[1987年]]に[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)に承継された。長岡運転所(現・[[長岡車両センター]])に所属し、2号機は主に[[信越本線]]([[黒姫駅]] - [[直江津駅]]間)、3号機は[[上越線]]([[水上駅]] - [[宮内駅 (新潟県)|宮内駅]]間)の除雪に使用された。しかし、降雪量の減少などによって次第にDD14形だけで除雪運用をこなすようになったため、まず2001年に3号機が廃車となった。り、残る2号機は引き続き信越本線の除雪に用いられたものの、以下に挙げる2007年春の団体臨時列車牽引を最後に運用を離脱し、その後は保留車として長らく長岡車両センター内で留置されていたが、[[2010年]][[3月10日]]に[[秋田総合車両センター]]へ自力回送され<ref>[http://railf.jp/news/2010/03/11/171100.html DD53 2が秋田総合車両センターへ] - [[交友社]]『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』railf.jp 鉄道ニュース 2010年3月11日</ref>、同日付けで廃車となった<ref>『鉄道ファン』2010年7月号(通巻591号)「JR各社の車両配置表」参照。</ref>。同機の廃車により、DD53形は廃形式となった。
 
民営化後の2号機特異な運用として以下のもの挙げら行わている。1987年4月には「[[新潟新幹線車両センター|新潟新幹線車両基地]]一般公開」に合わせて「おもしろ列車」として[[長岡駅]] - [[新潟駅]]間を走行した。この時はDD14DD53形+DE10[[国鉄EF64電気機関車#1000番台|EF64形1000番台]]+[[国鉄14系客車|14系客車]]+DE15形の編成で[[動力集中方式#プッシュプル方式|プッシュプル方式]]の形態で運転されたため、ロータリーヘッドは装着した状態のままであった<!--参考資料 http://www1.ezbbs.net/01/jnr/img/1161645118_1.jpg -->。これは[[1970年代]]半ばを最後に夏季使用が消滅して以来久々の営業列車の牽引であった。また、同年春には[[信越本線]]で[[国鉄DD14形ディーゼル機関車|DD14形]]+DD53形のプッシュプル方式による列車も運転された。以降、約20年程旅客運用が行われなかったが、[[2006年]][[11月3日]]から[[11月5日|5日]]まで[[鉄道車両の検査|車両検査]]を行う[[国鉄C57形蒸気機関車180号機|C57形180号機]]に代わり2号機が[[磐越西線]][[新津駅]] - [[会津若松駅]]間で「[[ばんえつ物語|DD53ばんえつ物語号]]」牽引に充当された。この列車の運転は、JR化後[[平成]]・[[21世紀]]に入って初めてのDD53形の旅客運用として大きな話題となった。翌[[2007年]][[4月14日]]・[[4月15日|15日]]にはリニューアルした「ばんえつ物語」用客車のお披露目運転を[[団体専用列車|団体]][[臨時列車]]として再び2号機が牽引し、今度は[[羽越本線]]を走行した。14日が「[[あけぼの (列車)#奥羽本線・羽越本線夜行列車の沿革|出羽]]」として、翌15日に「[[あけぼの (列車)#奥羽本線・羽越本線夜行列車の沿革|鳥海]]」として列車名が設定されたため、運転の際に同機にはかつての寝台特急「出羽」「鳥海」の[[方向幕#ヘッドマーク|ヘッドマーク]]を掲出した。
 
2号機は上記の2007年春の団体臨時列車牽引を最後に運用を離脱し、その後は保留車として長らく長岡車両センター内で留置されていたが、[[2010年]][[3月10日]]に[[秋田総合車両センター]]へ自力回送され<ref>[http://railf.jp/news/2010/03/11/171100.html DD53 2が秋田総合車両センターへ] - [[交友社]]『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』railf.jp 鉄道ニュース 2010年3月11日</ref>、同日付けで廃車となった<ref>『鉄道ファン』2010年7月号(通巻591号)「JR各社の車両配置表」参照。</ref>。同機の廃車により、DD53形は廃形式となった。
 
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