「徳大寺家」の版間の差分
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|支流=徳大寺家('''分家''')([[華族]]・[[男爵]])
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'''徳大寺'''(とくだいじ)家は、[[清華家]]の[[家格]]を有する[[公家]]
[[藤原公実]]の四男[[藤原実能|実能]]を祖とする。[[平安時代]]末期、[[左大臣]]時代の実能が衣笠山の西南麓を所有した別邸を営み、その中に持仏堂を建て徳大寺(得大寺)と命名。これが後に家名となった。後にこの別邸は[[細川勝元]]に譲られて[[龍安寺]]の元となった。[[江戸時代]]には屋敷が後の[[同志社大学]]の構内にあった。
== 歴代当主 ==
# [[徳大寺実能]] 1096-1157 ([[左大臣]])
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# [[徳大寺公弘]] 1866-1937 ([[公爵]]、[[貴族院議員]])弟の則麿は[[分家]]し[[男爵]]を授かった。
# [[徳大寺実厚]] 1889-1970 (公爵、[[掌典長]]、[[平安神宮]][[宮司]])
# [[徳大寺公英]] 1919- ([[美術評論家]])
==系図==
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== 関連項目 ==
* [[徳大寺有恒]](ペンネームであり、公家の徳大寺家とは無関係)
* [[藤原氏]]
* [[藤原北家]]
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