「ハンデキャップ競走」の版間の差分

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[[ko:핸디캡 경주]]
[[nl:Handicap race]]
 
 
;ハンデキャップ競走の歴史
:[[1700年代]]の初頭、現在でいうサラブレッドの3大始祖がイギリスに入り、[[種牡馬]]として供用された頃、急速に競走馬の質が向上し、スピードが増した。18世紀の中頃には入場料をとってファンを集める観賞用のスポーツとなる。この頃の競馬はその大部分がマッチレースであった。双方の馬主が負担重量等の条件を合意してレースは成立したが、しだいに重量に関する意見の不一致がもとで不成立が多くなり、その後自然の要求によって第三者であるハンデキャッパーが登場した。その様子を「ポンドルール」から引用すると「ハンデキャップマッチはA、B、Cが同額の金貨を帽子の中に入れる。ハンデキャッパーであるCが、AとBとのマッチの条件を作る。AとBは手を帽子に入れ、その手を引き出して交差させる。そして同時に手を開き、AとB双方が手に金貨を持っていれば、そのマッチは成立する。もっていないと不成立となる。この二つの場合はハンデキャッパーはすべての金貨を帽子から取り上げる。一人が金貨を持ち、他の一人が持たない場合は不成立となる。そして金貨を持った方は、帽子の中の供託金を自分のものとする権利を得るのである」この方法からレースは大幅に進歩し、一般レースにも応用された。大競馬場での最初のハンデキャップレースは、1785年、ニューマーケットのローリーマイルコースで一流馬14頭立てで行われた。[[1791年]]、アスコットのオートランドハンデキャップには4万人が集まり、100万ドルが賭けられたといわれている。[[1780年]]に創立された、ダービー200年の歴史とともに繁栄したイギリスの競馬は、現在でもその競走のほぼ50%が有名、無名のハンデ戦として執行されている。
;ハンデキャップの作成
:ハンデキャップの作成は、各馬が平常負担している重量を基礎に過去の成績を参考として、強い馬に加増し、弱い馬には減量する。近年平地競走では軽量、スピード優先の考えからクラシック級や種牡馬候補の馬でも比較的軽い重量で走れるレースが増えたため、重い重量は嫌われる傾向にある。特にここ数年、60kgを超した重量を背負い、かつ良い成績を残すサラブレッドは稀にしか見られなくなっている。そのため重量を増やすと出走を回避することにもつながる。また、軽い重量は騎手の体重の関係もあり、48kgをほぼ下限としている。
:過去の競走成績と着順と着差は、ハンデ作成に当たって最も有力な資料となる。タイムと着差は各馬のスタートからゴールまでの所要タイムとゴールにおける先着馬との着差を馬身、ハナ、クビ等の長さで表示したものである。1馬身はおよそ1秒の1/5で、2馬身は1秒の3/10、6馬身は1秒に等しい。また1キロ重くなると1600~2000メートルの中距離で約1馬身遅くなり、短距離では半馬身、長距離では約2馬身の差があるとされる。たとえば「AとBが55kgで1600メートルのマッチレースを争い、双方全力を出しきった結果、AがBに1馬身1/2差をつけて勝った。この次の対戦で、AはBより57kgとBは55kgで同距離を走れば、BはAに1/2馬身先着するであろう」というのが机上の単純な計算である。しかし1競走の成績が、そのまま能力判定の決定的資料にはならない。成績に現れる着順は、各馬の調教状態、コース、距離の適否、馬場状態、レース展開、他馬の妨害、騎乗の巧拙等によって相違するためである。ハンデキャッパーはそれらを適切に判断し、あらかじめ発表されたコース、距離のハンデキャップレースに申し込みのあった負担重量を決定する。