「源氏鶏太」の版間の差分
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父親は富山の[[配置販売業|置き薬]]売りで、家庭は豊かではなかった。7人兄弟の末っ子だったが、兄・姉たちとは年がはなれており、源氏が物心つく頃には、兄・姉たちは家を出ていたため、母と二人で暮らす。富山商業時代は、[[中山輝]]に師事して詩を書いていた。
1930年、大阪の住友合資会社(1937年に[[住友財閥|住友本社]]に改組)に入社し、経理課長代理まで昇進。戦後の[[財閥解体]]時は、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]からの指示で、住友本社の清算事務を担当した。その後は、泉不動産(現・[[住友不動産]])で総務部次長を務め、サラリーマン時代はずっと経理畑を歩んだ。(なお、そのため、後に作家専業になった際に「数字に強い」と、[[日本文芸家協会]]の経理担当を長らく
先に大阪に住んでいた、やはり文学青年だった長兄の影響で、就職後は小説を書くようになる。
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