「チャンドラグプタ2世」の版間の差分

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イラン系のサカ朝([[西クシャトラパ]])を下し、西は[[アラビア海]]、北は[[ヒマラヤ山脈]]の麓に至る領域を支配。[[デカン高原]]のヴァカタカ朝や[[パンジャーブ]]諸国はグプタ朝に臣下の礼を取り、事実上インドの全域を支配下に治めて、その領域を最大のものとした。
 
また、グプタ朝の文化的全盛期は5世紀頃であり、チャンドラグプタ2世の統治下においてその端緒が開かれて次代の[[{{仮リンク|クマーラグプタ1世]]|en|Kumaragupta I}}の時代にわたって繁栄した。チャンドラグプタ2世の時に宮廷に仕えた詩人で戯曲作家の[[カーリダーサ]]が[[サンスクリット]]文学の傑作『[[シャクンタラー]]』を発表し、説話集『[[パンチャタントラ]]』が編纂されたのもおおよそこの時期であると考えられている。また、民間では[[ヒンドゥー教]]が隆盛する一方で、[[仏教]]もその研究においては盛んであった。また[[アジャンター石窟]]寺院が再び活動を始めたのもこの時期といわれる。
 
{{先代次代|[[グプタ朝]]|320頃 - 550頃|[[サムドラグプタ]]|[[{{仮リンク|クマーラグプタ1世]]|en|Kumaragupta I}}}}
 
{{DEFAULTSORT:ちやんとらくふた2}}