「タンクレーディ (シチリア王)」の版間の差分

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'''タンクレーディ'''('''Tancredi''', [[1139年]] - [[1194年]][[2月20日]])は、[[シチリア王国]][[オートヴィル朝|ノルマン朝]]の第4代国王(在位:[[1189年]] - 1194年)。初代国王[[ルッジェーロ2世]]の長男[[プッリャ州|プッリャ]]公[[ルッジェーロ3世 (プッリャ公)|ルッジェーロ3世]]の[[庶子]]。
 
1189年、第3代国王であった従弟・[[グリエルモ2世]](ギヨーム2世)が嗣子無くして病死すると、その後継候補として叔母でルッジェーロ2世の娘[[コスタンツァ (シチリア女王)|コスタンツァ]]とその婿[[神聖ローマ皇帝]][[ハインリヒ6世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ6世]]が挙げられたが、シチリア王国の国民は外国の皇帝に支配されることを嫌い、[[教皇|ローマ教皇]]も[[教皇領]]がハインリヒ6世の領土に挟まれることを嫌い、庶子であったために後継候補から外されていたレッチェ伯タンクレーディを後継者として推し、タンクレーディは第4代の国王として即位することとなった。
 
しかし、庶子であるタンクレーディの即位には不満を持つ[[貴族]]も少なくなく、内からは彼の即位に反対する貴族の反乱、外からは神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世の侵攻を受けるという苦難の治世を送ることになる。これに対してタンクレーディは神聖ローマ帝国軍を撃退し、さらに長子の[[ルッジェーロ3世|ルッジェーロ]]に東ローマ皇帝[[イサキオス2世アンゲロス]]の皇女[[イレーネー・アンゲリナ]]を迎え、[[東ローマ帝国]]と同盟して対抗しようとしたが、1194年にルッジェーロは亡くなり、直後にタンクレーディも病死してしまった。
 
王位は次男の[[グリエルモ3世]]が継いだが、幼少であったために統率が取れず、侵攻してきたハインリヒ6世によってパレルモは陥落した。シチリア王国はノルマン朝から[[ホーエンシュタウフェン朝]]に変わるが、その血統はコスタンツァから[[フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ2世]]に受け継がれる。
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[[Category:シチリアの君主]]
[[Category:ターラント公]]
[[Category:アルタヴィッラ家]]