「ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ」の版間の差分

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また[[1843年]]には、『哲学改革のための暫定的テーゼ』『将来の哲学の根本命題』を刊行。[[人間主義]]的唯物論の代表的な存在になる。ただ、[[1860年]]に妻の経営する工場が破綻、経済事情が一気に悪化する。その後[[1866年]]には『唯心論と唯物論』を発表するが、以後は病床に就き、貧困のうちに死去した。
 
[[1848年]]の[[1848年革命|3月革命]]には関心を示したが、基本的に生涯を通じてフォイエルバッハは、[[政治]]的・[[社会]]的な立場には関心がなかった。そのためマルクスら[[革命家]]、[[政治家]]と行動をともにすることはなかったが、マルクスらの[[唯物史観|史的唯物論]]への影響は大きい。その晩年には[[アウグスト・ベーベル]]らの結成した[[マルクス主義]]政党・[[ドイツ社会民主労働]]に入党した。
 
== 参考文献 ==