「ジョゼ・エルネスト・デ・ソウザ」の版間の差分

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[[1921年]][[4月18日]]、リスボンに生まれる。[[1940年代]]、リスボン理科大学で[[物理化学]]を学び、[[アフリカ美術]]展を組織した。『''Seara Nova''』、『''Vértice''』、『''Mundo Literário''』、『''Colóquio Artes''』といった新聞雑誌に執筆を始める。同時代の[[シュルレアリスト]]たちと交流し、[[ネオレアリズモ|新現実主義]]の芸術や文学の批評家・理論家としての活動を開始する。
 
[[1946年]]、ポルトガル初のシネクラブ、「''Círculo de Cinema''」を設立。1948年、デ・ソウザとほかのクラブ幹部を逮捕するために、シネクラブの本部がポルトガルの秘密警察[[:en:{{仮リンク|PIDE|en|PIDE]]}}に襲撃される。政治文化的な理由による初の事件であった。
 
1949年から1952年の間[[パリ]]に留学し、[[シネマテーク・フランセーズ]]と[[パリ大学]]ソルボンヌ、[[IDHEC]]に通った。そこで[[シネクラブ・デュ・カルティエ・ラタン]]のメンバーとなり、[[アンドレ・バザン]]、[[フランソワ・トリュフォー]]と知り合う。マルリ=ル=ロワで、[[アラン・レネ]]、[[アニエス・ヴァルダ]]、[[ジャン・ミシェル]]とともに活動をした。